BoutReview
記事検索 by Google

[File 0014] 桜木裕司「ホンモノ以外はやりたくない」

Text & Photo 井田英登



会う前はもっと“無骨”な男を想像していた。
無論、試合後のインタビュウなどでその発言には触れる事があったが、それだけで選手の日常の姿まで伺い知る事はできない。

なにしろ、日本刀を腰に手挟んで、首には仲間の寄せ書きを巻き、道着姿で入場してくる男である。それも所属は「掣圏真陰流」。今や国家神道を軸に、右翼思想を熱く語る人となったあの佐山聡が率いる団体のエースなのである。

さぞかし、ゴツゴツした思想を頭に詰め込んでいるに違いない。インタビューを企画する側としては、そんな“強面”ぶりを期待していたのだが、実際に六本木の町に現れたのは、そんなこっちのステロタイプな想像をさらりと躱すかのように、B-boyスタイルに身を包んだチャーミングで溌剌とした現代青年だった。

うっかり通り一本隔てた六本木通りで彼とすれ違ったら、恐らく“あの桜木裕司”とは誰も気がつくまい。試合会場で強烈な精気をはなっていた“サムライ”の姿は、ただのキャラだったのか?

彼のあまりの気さくさな話しっぷりに、一瞬そんな疑念に取り憑かれかけた。しかし、話して行くうちに、また再び僕の中の羅針盤は180度転換して行く事になる。

一見、“どこにでも居るような”この青年が、今この場にたどり着くまでにどれだけの迷いと闘ったか、そして難渋をもって鳴らす“あの佐山聡”の元でいかなる修羅場をくぐる事になったか、そのストーリーを聞くうちに、ようやく自分の勘違いに気がつき始めた。ここに居るのは、“滅多に無い”才能を持て余した少年が、幾多の紆余曲折を経て手に入れた“どこにも居ない唯一無二”の姿なのだ。

「国粋主義の火の玉青年」というレッテルも「どこにでも居るようなB-boy」という印象も、そして「あの佐山聡の愛弟子」という予備知識すらも、なにかにつけ判りやすいレッテルを貼りたがる、“見る側”の幻想にすぎないのだ、と。




■“一生懸命やってるのになぜ認められないんだ?”っていう苦しい姿に、カッコ良さを感じるんです。

--今日は、謎のベールに包まれた“掣圏真陰流”の秘密に迫るということで(笑)、まずは桜木裕司選手とは何者であるかを追求していきたいと思うんですが。ちょっと調べてきた所によると1995年に極真空手の全国ジュニア高校生部門優勝してっていう、いきなり輝かしい経歴にブチ当たります。…元々ルーツは極真なんですね。

桜木「空手は高校から始めたんですけど、それまでは普通にサッカーとかバスケとかやってて。中学の頃から格闘技はやりたいなって。そのときラグビーもやってて、高校はラグビーの推薦入学の話も来てたんですけど、それを蹴飛ばして、格闘技やりたいつって(笑)」

--じゃ謙吾と一緒だ(笑)。元々、格闘技やりたいっていうのは、誰かに憧れて、とかですか?

桜木「元々は佐竹(雅明)さんですね。佐竹さんが、こないだ射殺されちゃったピーター・スミットと空手ワールドカップの初期に闘った時の試合で」

--シブいっすね、いきなり(笑

桜木「それまで格闘技とか全然わかんなくて、空手が何とか、どんな試合やるかもしらなくて。オヤジが柔道やってたぐらいで、それぐらいしか知らなくて。たまたま、それを見て…そのころ学校が荒れてたんですよ。だから強くならなきゃっていうのがあって、身を守らなきゃっていうのもあって。友達はボクシング始めるって言ってて、その頃、“辰吉、鬼塚、ピューマ渡久地”の三羽烏が出て来た時代で。 でも俺はボクシングってガラでもないあと思って、格闘技の雑誌を見てたら、表紙が佐竹選手とピーター・スミット選手の写真で。そっからですね。極真とか正道とか、なんも知らなかった」

--丁度正道の初期で、格通とかが元気で始めたころですねぇ。

桜木「多分、僕と同じぐらいの世代の人の中では古い方でしょうね。その頃、UWFが解散するかしないかって言う頃で」

--そのとき幾つでした?

桜木「中一でした」

--当時ならまだプロレスの方が勢いがあったと思うんですけど。それは見なかった?

桜木「いや、プロレスも見てたんですけど、UWFとか格闘技色の強いプロレスの方が好きで」

--じゃ、素地はできてたんですね。

桜木「ただウチの先生(佐山聡)が、初代でやってたころのタイガーマスクとかやってたころはあんまり知らなくて。タイガーマスクと言うと三沢さんで。ウチの先生と言うと、もう初期の頃の修斗のイメージが強くて」

--ああ、修斗創始者になっちゃってからですね。

桜木「ええ。だから初代のシューターの人たちの方が興味があるという(笑)」

--マニアックっすね(笑)

桜木「ええ、結構(笑)」

--今現役世代の格闘家に話を聞くと、UWFの「前高藤山」が好きだったとか、リングスのヴォルク・ハンに憧れて格闘技を始めたとかいう話を聞くのは多いんですけど、K-1の前の正道会館っていうのはかなりレアですね(笑)

桜木「いや、もうその時代が好きなんですよ。格闘技が下火の時で、その中からみんな盛り上がって行こうっていう。シューティングの選手でも総合格闘技の選手でも、俺たちはこんなに一生懸命に真剣勝負でやってるのに、認めてもらえないんだっていう、苦しい部分を見てるから、そこにカッコ良さを感じるんです(笑)」

--ああ、受難時代の苦闘、みたいなのがピンと来ちゃうんですね(笑)

桜木「昔のマンガの『空手バカ一代』でも寸止め空手が全盛で、直接打撃空手が邪道だって言われてるなかから上がって来てっていうのがカッコいいなと。『キックの鬼』でもキックをメジャーにするためにコツコツ頑張って、みたいなストーリーがあって。今回ウチの先生でも、掣圏道を始めて、PRIDEと関わって最初はばっと話題になったけど、すぐ下火になったりして。でもそこがオイシいっていうか(笑)カッコいいと思って」

--マイナー志向?

桜木「いや、マイナー志向っていうか、いい素材なのにみんながその良さに気づいてないっていう。これから光るはずだっていう時期に、そこに自分が居られて、自分の力でなんか出来るなら、みたいな感じで」

--ああ、プロジェクトXだ(笑)小さいところから、メジャーになって行くサクセスストーリーにシビれるわけですね。

桜木「ただ何でも小さけりゃいいって言うんじゃなくて(笑)そこには必ず確信めいたものが欲しいっていうか。ホンモノが集まってないと。ただマイナーってだけなら幾らでもあると思うんですよね。そこに、他の人ができないものがあって、コレは当たるというか、“信じられるもの”がないとダメですね。絶対的なもの。そこに賭けられるものが無いと頑張れないですから。それだったら、あとは自分の実力、頑張り次第ですから。他の誰かでもいいんだったら行かないですけど、みんな怖がってて行かないようなところで、自分が何かできそうだったら、そこに賭けてみたいなと」

--“侠気(おとこぎ)裕司”ですね(笑)でも極真時代には、いきなり全国大会優勝ですからエリートじゃないですか。そのまま行ってれば、また全然違う道もあったと思うんですが。

桜木「どっちかっていうと高校の頃は、良いようにレールを引かれてて、この先社会人になって、全日本に出てっていうのは、ちょっとちがうなあと思って。その頃同期だった小比類巻(貴之)とかは、キック行っちゃうし」

--ああ、同期なんですか。じゃ試合した事も?

「ええ。向こうが高校東北チャンピオンで、僕が高校九州のチャンピオンで、全日本ジュニアが第一回だったんです。そのとき準決勝で当たって勝ったんですけど。当時は極真が分裂する直然で、僕は松井派の道場だったんですけど、大会を主催したのは緑派だったんですよ。「ワールド空手」(極真専門誌)でも強い選手とか載ってるわけで、小比類巻は一般の部でも優勝してて、“小比類巻の上段回し蹴りは見えない”とか書いてて。向こうも僕と当たるまでは一本勝ちで。僕もずっと一本勝ちで。決勝も本戦で一本勝ちだったんですけど、小比類巻選手とやった時だけが再延長で。一本勝ちはできたんですけど。僕もその後色々あって格闘技からちょっと離れた時期があって。大学辞めるまではくすぶっちゃってんです」

--くすぶってた?

桜木「その大会の後、僕は受験失敗して自衛隊に入ったんですけど、緑先輩とか塚本先輩とかが北九州の支部で練習しててお世話になったりしてたんですけど、本当は高校卒業して正道に入りたかったんですね」

--分裂騒動のまっただ中に、すごい越境を考えてたんですね(笑)

桜木「さすがに極真にそこまで足入れてて、それもできなかったですね。空手でも頑張る気持ちはあったんですけど、いずれプロというか何でもありの世界に行くつもりで居ましたから。そのころの僕の格闘技の根本にある考え方は『空手バカ一代』みたいに、格闘技の中では空手が一番でなきゃいけない、みたいな考えだったので。路上の実戦でも空手が一番強くなきゃいけないって考えを真剣に持ってましたね。今人気のある格闘家で、流派背負ったりしてるひと居ないじゃないですか。それはそれで全然構わないし、どっちかというと一般の人にも伝わってると思うんだけど、それだけ追求してると、いずれ格闘技界って崩壊しちゃうだろうなと思ってて。そこのところでも“本当の事ってなんだろうな”っていう考え方になっていくんですよね。ただそれを頭堅く、言葉堅く言ってても伝わらないんで、古い考え方かもしれないけど、それを今風にアレンジしてどう伝えればいいか、っていつも考えてるんですよね」

--その辺の発想があったから、今、あえて古来の武道に帰るという考え方を主張する佐山さんの元にたどり着いたのかもしれないですね。

桜木「先生みたいにわーっと言っちゃうとビビっちゃうかもしれないですけど、どうオブラートに包んで言うかって言うのもありますね」

--その“伝わらない”とダメだという実感は、やっぱりアルティメットボクシング時代、お客さんがあまり入らなかったと言う経験もあるからですかね。

桜木「そうですねぇ。あれはあれで非常に良い経験になったと思うんですけど、音楽でも何でも、大きな音楽事務所なんかに入ったら、デビューからなにから最初からお客さんが入るような、もうお膳立てみたいなのが出来てるじゃないですか。僕らの場合、あんまり格闘技ちゃんと知ってるお客さんでも無いところに、相手は無茶苦茶強い無名のロシア人だったりするわけで、全然逆の状況でしたからね」

--それも一週間に何試合もやってて、北海道の何とか町みたいな所で興行してるっていうのが伝わってくるんだけど、ホントかよみたいな日程じゃないすか(笑)実際、あの最前線でやってた当人は、あの強行軍をどう思ってやってたんですか?

桜木「いや、もう先生の所でやるっていうことは、そう言う世界なんだって事ですから。ある種物の見方も変わりますよね。先生って言う人をホントに知った段階で、もう何も怖い物がなくなりましたね」


■“血の匂いがする” 高校時代から“東京引きこもり生活”へ

--実際どういう経緯で佐山さんに師事することになったんですか?

桜木「自衛隊は親を納得させるために半年ほど居ただけなんで、その次の年日体大に入ることになって、東京に出て来たんですけど。極真では大学の関係で城西支部に所属することになったんですけど、僕は城南支部に行きたかったんですね。で、家も遠かったんで、近くの溝口に八巻先輩の道場があって、そこで練習するようになってたんですけど、なんか恵比寿の数見先輩のところへ行けって言われちゃって。数見先輩のところでは、蒲田の本部に行けって言われちゃって…」

--たらい回しにされちゃったんですね(笑)

桜木「で、段々そんな感じで道場も行かない、みたいな感じになって来て。二年で留年して、もう大学もほとんど行かなくて。僕二回も留年してるんですよね(笑)そのころ正道の同好会が大学にあって、今K-1出てる安廣とかも居たんで。向こうはスゴい先輩とかとやってるじゃないすか、どんなもんかと極真でやってるの隠して、道場破り的に体験入門とか行って練習に混じったりしてましたね(笑)宮崎にいたころから良くやってたんですよ」

--そんなのすぐバレるでしょ(笑)袋だたきにあったりしませんでした?

桜木「いや、それは下から攻めて行って(笑)一番上の先生倒しちゃったらいいや見たいな感じで(笑)だからウチの先生に会うまでって言うのは、ホントに怖い物が無くて。なんか世の中をナメてましたね。ある程度強くなってくると、高校生でも一般の部の大人にも勝てるようになってきたし、田舎なんかは試合もないじゃないですか。だから柔道の選手とかボクシングの選手とか呼んで、異種格闘技戦みたいな事やったり。暇さえあれば、遊びたい盛りじゃないですか。喧嘩にいくか、ナンパに行くかしてましたね(笑)」

--あ、ナンパも行くんだ(笑)

桜木「だから同じ道場の先輩なんかに、“オマエは血の匂いがする”とか言われてましたね(笑)ホントに強くなるには、喧嘩も女もそこまでしなきゃいけないんだ、みたいな考えがあって。両方できなきゃイカンみたいな。だから先生に会って、変わって、いろんな人が喜んでましたね」

--今でこそ温厚な感じですけど、当時は相当荒んでたんですね。

桜木「ああ、それはあるかもしれないですね。荒んでたというか…ピリピリしてましたね。力が有り余ってたんで。でも、その頃って喧嘩売られないんですよね。自分からも売ったりはしないですけど。ただ最近はなんでか、売られるんですよ…普通にコンビニとかに行ってる時に(笑)今年なんかもう九試合もして、常にアドレナリン出てる場所があるんで、普段はどうでもいいですよね」

--喧嘩オーラが落ちちゃってるんでしょうね(笑)

桜木「そうでしょうね。そしたら売られちゃって…よく居るじゃないですか、身体が大きくても気が弱そう、みたいな人が。そんな風にみられてるらしくて、職人系の人とかに、気に入らねえな、みたいに言われて(笑)」

--じゃ受けて立っちゃうんですか

桜木「いや、もう極力我慢しますけど(笑)」

--大体、リング上がってる時の道着姿と今の服装が全然別物ですからね(笑)今日の格好なんか、そこらのHIP HOP好きの若い衆だもん。誰もあの、日本刀腰に差してくる桜木裕司とは思わないと思うなあ(笑)

桜木「(笑)まあ好きな音楽とかもあるんですけど、そもそもサイズが無くて、選択の余地が限られちゃうんですよね(笑)普通の綺麗目の格好しようと思ってもサイズがないんで(笑)。だからこういう格好に出会うまで苦労しましたよね。高校時代とか普通のジーパンだと一ヶ月に一本穿けなくなっちゃうんで。丁度足が大きくなる時期だったんで」

--じゃ、東京に出て来て、HIP HOP系の文化に触れて、クラブ行って踊ってみたいな私生活もアリって感じですか。

桜木「ま、それもアリなんですけど、波がありますよね。かと思ったら突然部屋から出なくなっちゃったり。なんか心と身体のバランスが取れてなかったですね。なんか力は余ってたのに、頑張れない、みたいな。気持ち的にギリギリのところまで追いつめられちゃって、死のうかなみたいな事を考えたこともありますね。でも、死ねる勇気があるなら何でも出来るかもって、思い直したり」

--死にたくなるって、相当ですけど、そんな深い悩みがあったんですか?

桜木「頑張れない自分がスゴくヤだったんですよね。中学時代から好きで始めた格闘技で、ある程度のところまで行って、これからプロで頑張らなきゃと思ってるのに、なんでか頑張れない自分がイヤで。絶対プロでやるって決めてたのに、道場も行かなくなっちゃって、コヒとかはどんどん上がって来ますしね。最初の世界タイトルとか取っちゃって…自分がはがゆかったですね」

--なんで道場は行かなくなっちゃったんですか。

桜木「高校とか毎日道場行ってたのに、自衛隊とかでブランクが出来たからですかね…なんかそれからは心がポキポキポキポキ折れちゃって(笑)せっかく東京に出て来て、楽しくなって行くはずの時だったんですけど、練習行ってもなんかブランクが出来ちゃって。その前の年の高校チャンピオンって言ったらどれぐらいのモンだって、みんな倒そう倒そうってやってくるじゃないですか。なのに自分の方はなんか思うような動きができなくって、それで疲れて来ちゃって」

--ああ、自分に愛想が尽きるって感じですね。

桜木「そうそう。で、その頃の年頃って、なんか他にも出来るんじゃないかって気持ちもあるじゃないですか。格闘技だけじゃなくても。中学の頃からずーっと俺は格闘技で行くって決めてたのに、なんか俺はそれ以外の事はできないのかなとか考えちゃって。他にベクトルが行っちゃって」

--実際、他に何をやろうとしてたんです?

桜木「水商売とか(笑)」

--水商売は才能じゃないだろう(笑)

桜木「まあ仕事としてそっちに進めないかなって思ったりしたんですよ。あと土建業とか…僕一時期お台場のビーナスフォートとか作ってましたもん(笑)ああ、こういうのもいいなあって思って。ただ、どこ行っても、いろんな人に『格闘技そこまでやってたんなら戻った方が良いよ』って言われて。じゃ、戻ろうかなって思って。それで顔面やらなきゃっていうので、極真じゃなくてキックのジムに入ろうって思って。まだ藤原ジムとかが無かったんで、スゴい厳しいって聞いてた目黒ジムに入ったんですけど。また練習にいかなくって(笑)でも会長さんが、ぜんぜん練習行かなくても可愛がってくれたんですよ。沢村(正)さんとかにも会わせてくれて。結局大学も辞めるってことになって、親にも勘当されて、この先どうしようっかなと(笑)」

--やる気がイマイチなのに、状況だけはどんどん波瀾万丈ですね(笑)

桜木「そうなんですよね。で、その頃新日本キックにはヘビー級は選手が居ないんで、ウチに居ても試合できないよって言われて。僕、プロになりたいって言うのを、それまで会長にも言ってなかったんですよ。でも実はプロになってやりたいって言ったら、会長がウチの先生を紹介してくれたんです。藤本会長って、山口の水産高校の出身で、ウチの先生はその大分下の後輩なんですね。で、その関係で先生がタイガーマスクになる前から、藤本会長はキックで名前があったので、その後輩ってことで交流があって」

--ようやく佐山さんが人生に登場すると(笑)


■天才・佐山聡の弟子であるということ

桜木「その頃、もう周りにもものすごい攻められてて、やらなきゃいけないのに、できないって、一番腐ってましたね。でも、自分で死ぬぐらいなら、もう誰かに殺された方が良いって思って。そういう環境に追い込まれたらやれるかもしれない…でもそういう状況の人ってスゴく多いと思うんですね。自分ひとりじゃ、どうしようもならないって。でもまた沢山の中でやるってなると、別に自分じゃなくてもいいんだ、みたいな気持ちになって、またやらない。…ただマンツーマンなら逃げ場がないじゃないですか。ウチの先生は天才って言われてるし、スゴく怖いのも知ってましたから。佐山聡の所に行っても何もできないんだったら、あきらめがつくって。でもそこでやれたら、スゴい達成感になるし、自信もつくだろうって。無くしてた自信を」

--そのころ佐山さんは、目黒ジムで指導してたわけじゃないですよね

桜木「ええ、僕がプロになりたいって話を会長にして一週間もしないうちに『話通したから』って言われて。丁度佐竹さんがアルティメットボクシングの試合に出たその直後ぐらいでしたよね。ボディ・プラント(ジム)で、6月ぐらいかな。すぐ会うって言われて、会って話二言三言しゃべって、下にいってちょっとサンドバック蹴ってみてって言われて。十秒二十秒やったら、『あー、わかった、わかった』って言われて、『じゃ七月一日から北海道行くから荷物まとめといて』 って。それで決まり(笑)」

--マンガみたいだな(笑)聞きしに勝る理不尽というか…天才ならではの即決劇ですね(笑)

桜木「その頃他にもう日本人いなかったですからね。僕の前に恩田さんって人が居て、その後も何人も来たけど、みんな辞めちゃって」

--新・加勢大周とかも居ましたね(笑)

桜木「居ました居ました。でも試合はやらなかったですね。会った事がないですから。僕の時はもう誰もいない状態で。」

--よくそれで着いて行く気になりましたね(笑)

桜木「いやもう、何が起こっても驚かないって。厳しいのも、どんな状態かも全部知ってましたから。昔からシューティングの地獄の特訓とかの話も聞いてたし。もちろん極真とかでも相当厳しいんですけど、次元が違いますからね」

--かくて桜木青年は北海道に拉致されてしまったと(笑)

桜木「いや、結局そのとき北海道いってないですから(笑)」

--えええ〜〜〜っ

桜木「いくぞって言われてたから、家も取っ払って荷物もまとめてたんですけど、いざ七月一日になったら『いやちょっと状況が変わった』って言われて(笑)それが昭島の道場が出来る頃で。それまで友達の家を転々として、昼間はボディプラントで先生と二人っきりで練習して。途中からは友達の家も居ずらくなって(笑)なにしろ送別会とか散々やってもらって、そこでまだ行かないとかやってるんで。先生に「さすがに行くところがありません」って言ったら、先生の自宅に入れてもらって。それでひと月ぐらいして昭島に道場が出来てって感じですね。で、北海道はそれからですね。デビュー前に行って地獄を見たと言う(笑)」

--早速スゴい振り回され方ですよね(笑)で、その地獄っていうのは?

桜木「最初昭島の頃までは、そんな練習も厳しくなかったんですよ。待遇もスゴく良くて。こんなんで良いのかなって思うぐらいで。大変な時もありましたけど、予想の範囲だなってぐらいで…それが北海道行ってから朝の十時からずっとロシア人の相手する事になって。北海道は練習に行くつもりじゃなかったですからね。ちょっと見学に、ぐらいの感じだったんで。いざ行ってみたら、先生に『練習やっとけ』って言われて、朝の十時に道場に入って。そしたら2時間おきに20人ぐらいずつロシア人が来て、いつ帰っていいか判んないじゃないですか。で、ずーっと練習やってたら、夜の八時くらいに先生が来て。もうぼろぼろになってるんですけど。やっと終わって良いのかなと思ってたら、なんかロシアのアマレスのチャンピオンとか連れて来ちゃって、やれって(笑)そんなもんレスリングの基礎も知らないんだから、やられちゃいますよね。そーしたら、先生が突然怒り出しちゃって。『てーめーーっ!何ヤられてんだ、コラ』みたいな(笑)思いっきりそこでサッカーボールキックとかされちゃって。『死んだ気でやってみろ!』とか怒鳴られて。もう救いを求めて先生見てるのに、もう逃げ場がなくて。それで行くしか無いなってやったら、なんか倒せたんですね。そしたら『判るか? これが必死の力だ』って」

--ああー、出ましたね。地獄のアドレナリン特訓平成版だ(笑)

桜木「でもそっからですね。恐怖を感じるぐらいの練習っていうのは。他にも逃げた人とか居て、先生がホントの半分ぐらいの切れ方してるのに、旭川から札幌まで自転車で逃げたって言ってましたからね(笑)」

--その方が大変な気がするなあ(笑)必死の力が変なところに出ちゃったんですね。

桜木「でも判りますね。気が弱い人だったら一瞬でPTSDに掛っちゃうぐらい(笑)。他の人でも見てたら判るんですけど、瓜田さんでも最初そうでしたけど、次の日に先生とまともに顔あわせて話せないんですね。それを刷り込まれると、無意識のうちに震えてたりして(笑)」

--掣圏道恐るべしっつーか、怖いを通り越して、なんかもう操作されてますよね(笑)。これからは催眠術だってBlogとかで書いてらっしゃるのを見ましたけど、そういう一種の人心操作のテクニックなんでしょうね。

桜木「常に言ってる事は全部本気だと思ってないとダメですね。『サンドバック蹴っとけ』って言われてどっか行っちゃうんですけど、普通に常識の範囲で止めてたら、戻って来て『テーメーーッ!何止めてるんだ』って怒られるんですよ。…でも、たまに忘れてる事もあるんですよね(笑)昔朝の十時頃からずーっとサンドバック叩いてて、『やっとけ』って言われてずーっとやってたんですけど、昼の二時三時になっても降りて来なくて。昔先生は黒崎先生のトコにいたじゃないですか。黒崎先生の所で、藤原先生もそうやって一日サンドバック蹴ってたって話も聞いてたんで、これはどこかで見てるのかなって思って、ずっとやってたら、内線が鳴って。出たら先生が『オマエ、何やってんの?』って(笑)『いやずっと言われてたんで、やってました』って言ったら、『ああーっ、忘れてた。飯食いに戻ってこいよ』って(笑)」

--素晴らし過ぎる理不尽ですね(笑)

桜木「だから難しいんすよね(笑)やっとけって言われたら、もう聞いちゃダメなんで。全部本気だと思ってやっとかないとダメなんで。でも、先生のところに付いていたら、どこででもやって行ける気がします」

--新日本プロレスの選手育成法というか、“我が子を千尋の谷から突き落とす”スタイルですねえ。過酷な試練をあたえて、這い上がって来た人間だけを育てるって言う…。アルティメットボクシング時代でも、週に三試合とか、半端じゃない連戦で闘ってたりしたじゃないですか。よく死ななかったなあって、自分で思ったりしません?

桜木「でもロシア人とかも一緒のことやってましたからね。日本人だけ特別扱いされるっていうのもなくて。そこにどういう「強さ」を求めるか、なんだと思います。もうスポーツ選手って感覚がないですからね。例えば同じ強さでも、“スポーツ選手としての強さ”を求めるなら、『そんなのは常識はずれでおかしい』ってなりますけど、サムライというか軍隊的な強さを求めるなら毎日闘えなきゃおかしいし、実戦の前に準備運動なんかしないですからね。ロシア人は実際それをやってるんだし、『やれっ』って言われたら、どんな無茶でもやれなきゃダメなんですね。肋骨が折れてようがどうしようが闘うし、ホントに強い奴っていうのはそう言う中から出てくるんじゃないかなって。まだまだ『強い』奴はもっと居ると思うんですよね」

--大抵の人間は『強く』なる前に死んじゃいますけど(笑)まさに大山倍達流の超人願望ですね。

桜木「そうやってくると今まで見て来た先輩達の『強さ』とも全く違う物が見えてくるんで。でもそこだけを追求して行くと、修行僧みたいになっちゃって、みんなに判ってもらう事は出来ないんで。他団体にも出て行って、勝って、自分たちの「色」みたいなものを見せて、桜木裕司って誰、佐山聡って何、掣圏真陰流ってどういうものって。先生の一言だけだと、また“十年先を行ってる”ってだけで終わっちゃうんで、その中間ぐらいを、桜木裕司をみれば判るなって思ってもらえれば。世間ってフィルターを通していかないと、ホントの自己満足に終わっちゃいますからね。それならプロで試合見せてやる必要ないですから」


■掣圏道=格闘技界最後の“幻想の持てる”団体

--今年は、パンクラスでも全日本でもタイトル戦線に関わる活躍ができて、知名度もあがったとおもうんですが、その“広報活動”の手応えなんかはありましたか?

桜木「今年は九試合目で、周りの友達にも『プロとしてやるんだったら、もう少し間空けて、体調も整えてやらないとお客さんに失礼じゃないか?』とか言われたりして。それも判ってるんですけど、判った上で、連戦をやることにしyたんだし、二つ続けて負けたからって、落ち込むって選択肢はないんです。今変な話ですけど、怪我して欠場って多いじゃないですか。その中で休まないで連戦したり、アルティメットボクシングでやったたみたいな事とかは、他の選手には絶対できないことで、僕のカラーとして出せる事だと思うし、この経験はきっと将来絶対生きてくると思うんで。この先、有名どころの強い選手と当たる時なんかでも、このギリギリのところに立った時に出せる“人間力”を蓄えて行けば、闘えると思うんで。僕もいつまでも連戦し続ける気はないですけど、今は越えて行かなきゃいけない時だと、何より先生がそれを見通してくれて、「今一番良い時だから、やれるし、やっと居た方が良い」って言ってくれてるんで」

--“やらなきゃ、やったほうがいい”って言うのは、いわば『理』の部分での発想だと思うんですが、“やってて楽しい”とか逆に“苦しいからヤだ”みたいな『情』の部分での感じ方はどんなんでしょうね

桜木「楽しいっちゃ、楽しいのかもしれないですけど、単純に『楽しい』の一言で言っちゃって良いのかはわかんないですけど(笑)…“初心”の部分で、何になりたいのか、何を目指してやってきたのか、って話になりますよね。16から格闘技始めて、18から23までブランクがあって、出来なかった時期の“貯金”がありますからね。丁度最近になって18の頃からの気持ちに繋がったって言うか、それまでは先生の練習に耐える事が一番にあって。外に出してもらえるようになったのも、やっと去年ぐらいからなんで。やれる時にやって、変な話“かける恥は全部かいとこう”って思ってますから(笑)一個一個大事に闘いたいっていうのはないわけじゃないですけど、やられてもとにかく前に出て行くっていう試合をいまはやっときたいですね。みんなすぐPRIDEだK-1出たいって言ってますけど、僕だって出たいのは出たいですけど、その前にやっとかなきゃいけない、積み重ねのための連戦なわけで。他の人の時間軸より凝縮してやらなきゃって。時間を無駄にして来た自分に対する責任もあるし。今年の前半ぐらいでようやくその頃への責任が取れたかなって。やっと格闘技界の対抗の構図の中にちょっとでも入れてきたかなって…それまでは蚊帳の外だったと思うんで(笑)」

--自分でそれを言っちゃいますか(笑)

桜木「でもホントそうじゃないですか、現実(笑)蚊帳の外なんだけど、多分こいつら相当変だけど、なんか名前は無いけど、なんかスゴい事やってるな、唯一幻想のある団体みたいな感じで。良い物って言うのは別に時代に関係なく良いじゃないですか。でも今格闘技なんかはTVが入って、良いモノをゆがめて出しちゃったり、良くも無いモノを良いように言っちゃったりして。その辺は、もうお客さんも気づいて来てると思うんで。その中で自分たちの信念は何なのかって投げかけていければいいと思うんですよね。とにかく“ニセモノ”にはなりたくないんですよね。良いと思ってやってたのに、実は全然だめだったとか思いたくないですからね」

--最近でいえば、マンションの耐震構造疑惑なんかが明らかになって、生涯賭けての買い物をしたのに“ニセモノ”を掴まされて、泣き寝入りしなきゃいけない、みたいな事件も起きてて。「見る目」の問題はどんどんシビアになってく一方だと思います。またゴマかす側の技術も上がって来て、ホンモノを押しのけて“ニセモノ”が大手を振ってまかり通る時代にもなりかねないじゃないですか。そんな中で、桜木選手は、佐山聡という師匠の、どこに“ホンモノ”を感じたのか知りたいですね。

桜木「今年で、先生に付いて6年目になるんですけど、先生の周りに居る人というのは、タイガーマスク時代の先生を知ってて、“神様”的に先生を尊敬してる人が多いと思うんですよ。でも僕はそんなことはなくて、シューティング時代からのイメージで先生を思ってるんで、逆に客観視できるんです。何より、先生に付いた事で、僕の周りの人間が喜んでくれるんですね。今まで誰が何と言っても言う事聞かなかったのに、先生に付いてからは、全てが矯正されたっていうか、言葉遣いから生活からなにから違うって、親が喜んでくれて。僕は普通にやってるつもりなんですけど。例えば先生から電話がかかって来た時の対応を親が見て、『何か、わかった』って言うんですよね(笑)」

--最近佐山さんの書いてる物を拝見しても、「礼」を重視するっていうコメントが多くなってますしね。やっぱり師事してから、叩き込まれたりしたんですか?

桜木「いや、礼儀とかに関しては何にも言われないですね。口で言われてどうこうじゃなくて、自然に皮膚感覚で身に付いちゃったんでしょうね。その前に何をやっちゃいけないか刷り込まれてますし(笑)。だからっていつもピリピリしてるってんでもないですしね。メリハリがすごいなと思いましたね。やる時はどこまでもやるけど、遊ぶなって言うんじゃなくて、やることやっとけば夜遊びもしていいし、女出入りはダメだっていうんでもない。『女はどんどん連れ込めよ』ってぐらいで(笑)世間一般の掣圏真陰流とか、僕自身とかのイメージは、それこそ着物とかびしっと着込んで、推忍とか言ってて、『自分は女なんか要りません』みたいなことを言ってる感じだと思うんですけど、逆に佐山先生は『そんな人間じゃダメだ。遊ぶ時は遊んで、女にもモテないような男じゃだめだ。でもやる事はやれ』って。本質がしっかりしてれば、後は世間とのバランスもしっかり持って生きて行けって、最初に言われましたから。練習の時の厳しさだけですね。それ以外はなんにも言われないです」

--確かに佐山さん自体、普段の物腰は柔らかで高圧的なところはないですね

桜木「変な話、先生も腰が低いんで、知らない人はそこで地雷踏んじゃうんですよね。知ってる人間は、ある程度ギリギリのラインが判ってやってるんで」

--逆に低い腰でリトマス試験紙みたいに人を測ってるのかもしれないですね

桜木「だから他の人と接してる時が怖いことありますね。突然、来ちゃうことがあるんで。“ああ、この人踏んじゃった”みたいな…。でもこういう人は居ないとダメだなとは思いますね。会社なんかで上司に怒られても、ウチに帰ったらケッとか言えるじゃないですか。怒っててもピンと来ないというか。でも先生は、ある種絶対的な存在ですからね。これで道間違ってたら、ちょっと付いて行けないですよ(笑)。そこでスジが通ってるから、絶対的な存在なんで」

--実際、先生の言われてる右寄りのイデオロギーに関しては、桜木選手はどう考えてます?

桜木「元々、僕自身がそっち寄りの家系だったんで(笑)親戚が防衛庁に居たり。最初、先生は僕らの前とかでは全然言わなかったですからね。選挙に出た前ぐらいからかな。どっちかっていうと格闘技の人って、そっち側が多くないですか?」

--んー、まあ一概には言えないとは思いますけど、多いのは多い、かな。

桜木「まあ、武道系の人は多いでしょうね。そのほうが、僕は…うれしいですね(笑)瓜田さんなんかも嫌いじゃないだろうけど、そこまで興味は無いって感じで。僕はどっちかっていうと率先して(笑)それも形だと思うんですね。街宣車使ってわーっていうのはどうかって思うし。それ自体もう威圧して言っちゃってるわけで。良い物でも聞いてもらえなくなっちゃう。同じ事を考えてても伝わらなくなっちゃう。格闘技と一緒で、投げかけてみて、通じるかどうかは判断してください、ってだけですね。思想って押し付けても反発するだけなんで。先生は何も押し付けないですから」


■とにかく勝ちたくって仕方がない

--さて、最後に真陰流初参戦について聞いて行きたいんですが、そもそも全日本キックでKO負けがあって、その直後の大会ということになりますが、体調とかはどうですか? 

桜木「体調は…試合がやれる状態、ですね」

--そのKOのせいで、本来出場する予定だった藤原祭はキャンセルすることになって、そのおかげで真陰流の方に初出場できるというのは、ちょっと皮肉な感じもするんですが、

桜木「それはルールなんでしかたないっすね。やれるのであれば、向こうには出るつもりでしたから。やれる限りやりたいし、やれるからやるだけなんで」

--掣圏真陰流になってからは初出場ですね

桜木「前に大田区でやった時とは、また違いますからね。リアルジャパンを旗揚げしてからは初めてって事になりますね。やっぱり一回は出ておかないと思ってたんで」

--アルティメットボクシングから始まって、全日本キック、パンクラスといろんなルールの試合を経験して来た訳ですが、四つ目のルールと言う事で、混乱したりしませんか?

桜木「いや〜、あんまり変わんないですね、闘う事に関しては。手を使って、足を使って…意識してないですね。技術的には違うんでしょうけども。要はリルジャパンを見に来てる人に、桜木裕司の試合を見てもらうってだけのことなんで。これまで演武だなんだってやってましたけど、“桜木ってどうなの”っていうのを、パンクラスや全日本キックを見てないお客さんにも感じてもらえればいいかなって思いますね。そこの部分が大事なんでルールとかは関係ないですね」

--逆に、これまでホームに登場しなかったのが不思議なぐらいですが

桜木「それは、まあタイミングですね。これまでは瓜田さんにウチを守ってもらって、僕は対外部隊でやるって感じだったので。今回はうまくタイミングが重なったってことで。これが逆に藤原祭があったら出場できてなかったんで、これも何かの巡り合わせですね」

--今回ホーム登場って言う事で、気負いとかは無いですか?

桜木「それは無いんですけど…とにかく勝ちたくって仕方がないですね。相手が誰だろうと。僕はこのところ連敗してるんですけど、それはもう精神的な弱さだと思ってて。高橋戦の時もそうなんで。それが堪え難くって。とにかく今はルールはどうこう、団体も関係なくてとにかく勝ち星がほしい。それだけですね」

--ようやく対戦相手(ジミー明成)も決まりましたが

桜木「まあ今までも対戦相手を選んだ事もないですし、準備された相手と闘うだけですね。その中で自分のパフォーマンスを出していきたいし。ここ二連敗もあるし、今年一年やって来た事の〆の部分もありますし、一つの区切りにしたいですね。どこを見てくれっていうより…そんな余裕もないですしね。桜木裕司ってどんなやつだっていうのを感じてもらえれば」

--対策とかは考えてます?

桜木「相手がどうこうって言うのを考えると、相手に合わせちゃって。団体の人にも言われたんですけど、無駄なところで相手を光らせちゃってるねって(笑)。強い人とやってもそうだし、弱い人とやってる時もそれなりにしちゃってるんで(笑)。だからもう相手に合わせるつもりはないですね」

--じゃあジミー選手の印象は

桜木「でかい、ですね。デカイ、重いっていうのがあるだろうし、これまでの二戦っていうのは参考にならない(笑)だからわからない、ですね」

--この試合を締めくくりにして、来年はどんな風に展開していきたいですか? 他にももっと活動を拡大して行きたいとかヴィジョンはあります?

桜木「今は全日本キックさんとパンクラスさんに出させてもらってて、実は他からも声を掛けてもらったりもしてるんですけど、この十二月も三つぐらい他にオファーもらってたんですけど、今はお金が良かったらあっちいってこっち行ってみたいな事が多いじゃないですか。元々今上がってる二つの団体に拾われたっていう“恩”を感じてますし、ランキングにも入れてもらってますから、例えば立ち技だったら、全日本キックさんがいいよって言ってもらえるなら他所にも出ますけど、そうじゃなかったら出たくない。古い考えかもしれないですけど、そこらの“筋”だけはちゃんと通していきたいんですよね。闘っていくなかで、団体に対する想いとか、団体を背負ってる部分のある選手っていうのは違うと思うんですね。これから格闘技を志す人たちにも、チャラチャラしてただ単に強いから何してもいいぜって言うんじゃなくて、“筋”を通して生きてく感じを見てもらって、なんでそこまでするんだろうっていうのを判ってもらえたらいいなって思いますね。僕も先輩達のそういう部分を見て、男ってこうだな、なんでこんな生き方してるんだろうって思いながら、そこをカッコいいなと思ってた部分ありますから」

--逆に今年一年を振り返ってみては、どんな年でした?

桜木「どっちもタイトルに限り無く近づきながら、届かなかった年でしたね(笑)全日本キックでも郷野選手に勝って、西田選手に勝って、次やれるかなって所で郷野選手にやってもらえなくて、その間にオランダで負けて、この間も負けちゃいましたし。パンクラスでもこの間のセハク選手に勝ったら、野地選手とタイトルマッチって所で負けちゃって(笑)。なんかギリギリのところで、ダメだったから、来年はもっと落ちるかもしれないですけど。ただ、今はそこに照準を見据えて、そこを精一杯がんばるだけなんで。先生の名前があるから、それで大きな舞台に出て行けるって言うのは…できるんでしょうけども。自分でまずちゃんと取るべき物を取って、昨日今日作ったなんだかわかんないベルトじゃなくて、歴史のあるきちんとしたものを巻いて。それを背負って闘っていきたいですね」




掣圏真陰流 "初代タイガーマスク・リアルジャパンプロレス旗揚げ第3戦"
2005年12月16日(金) 東京・後楽園ホール
開場・17:30 開始・18:30

<決定カード>
掣圏真陰流特別試合
桜木裕司(掣圏会館)
ジミー明成(パンクラス・チーム玉海力)
※ほか、掣圏真陰流トーナメント、プロレスの試合を実施

<チケット料金>
RS席8,000円 A席6,000円 B席5,000円



桜木裕司サイン入りTシャツを3名様にプレゼント

 色はグレー、胸にリアルジャパンプロレスの虎のロゴマーク、右の腰には虎の筆絵のカッコいいデザインです。背中に桜木選手の直筆サインをお入れしました。サイズはXLのみです。
 ご希望の方はEメールで編集部・井原(ihara@boutreview.com)までご応募を。標題に「桜木Tシャツ希望」と明記し、本文には郵便番号・住所・氏名・電話番号・年齢・インタビューの感想・好きな格闘家の名前3名を記して下さい。
 締切は12/16(金)午後3時必着。当選の発表は発送をもって代えさせていただきます。


Last Update : 12/13 16:44

[ Back (前の画面に戻る)]



TOPPAGE | REPORT | CALENDAR | REVIEW | XX | EXpress | BBS | POLL | TOP10 | SHOP | STAFF

Copyright(c) 1997-2005 MuscleBrain's. All right reserved
BoutReviewに掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。
著作権はマッスルブレインズに属します。