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[File 0013] 山崎進「最後の北斗旗、最後の世界大会」

Text & Photo 井田英登



極真空手をベースにしながら、投げ、関節技を有効とし、さらには頭突き、金的までを攻撃法として許容する徒手武道『大道塾/空道』の有り様は、格闘技界の二大スタンダードとなりつつあるMMAやキックボクシングとは、全く別の存在感を持つものだ。プロとして生活を立てるのではなく、あくまでアマチュアイズムをベースとし、競技と生活を切り離す“社会体育”としての理念を中心に置いていることでも、彼らの目指す地平は、この十年間プロ格闘技を中心に見続けてきた我々の世界観とは、一線を画したものとなっている。

特にプロMMAが破竹の勢いを示して来たこの十年は、様々な試みを行ってきた総合格闘技の流派が混交し、覇権を争った日々でもあった。その大きな潮流の中で、孤高を守り『格闘空手』から『空道』という独自のアイデンティティを確立しようとしていた彼らのムーブメントは、トップランナーの立場からいつしか“異端”のポジションにシフトして行く。

そんな時代変転の大きな渦の中で、大道塾の看板を背負ってトップを走り続けたのが山崎進だ。98年の重量級優勝を皮切りに、2003年には『空道』の価値観の頂点に立つトーナメント北斗旗無差別級を制覇。藤松泰通とのダブルエースで一時代を築いた。

身長172と決して大柄ではないにもかかわらず、重量級/超重量級という最重量階級で活躍する山崎の闘いは、『空道』の中でも異色の存在であった。相手と組み合っても、山崎はテイクダウンはおろか、投げもほとんど狙わない。一回りも二回りも大きな相手の襟首を強靭な膂力で引き寄せ、取り憑かれたように二発三発と頭突きをぶち込んで行くのだ。問答無用のケンカ殺法としか言い様の無い狂気の攻めが、場内を凍らせる。

大道塾はスーパーセーブと呼ばれる透明の顔面ガードを着用して闘うため、流血に至る事はないのだが、脳が揺れれば相手は確実にダメージを受ける。ふらついた長身選手の道着を、まるで暴れ馬の手綱のように振り回し、そしてぶん投げる。まるで相手に恨みでもあるかのような壮絶な戦いぶりは、過酷な北斗旗ルールを十全に使い切った恐るべきものであった。

一方、日常の山崎は、そんな恐るべきファイトスタイルからは想像もつかないような紳士的な表情を見せる。今回のインタビュウでも、プロ選手のようなハッタリの効いたコメントは一切吐かない。抑制の利いた穏やかな言葉の連なりの中に、戦闘モードの山崎の影を見いだす事はほとんど不可能だろう。だが、その落差こそが、試合での強烈なエネルギーの源泉となっている事は言うまでもない。

今回のインタビュウで、山崎は11月13日に開催される北斗旗 第2回空道世界選手権大会を最後に、北斗旗引退を示唆している。巨体の対戦相手に獰猛なシャチのように挑みかかって行く、あの唯一無二のスタイルは本当にもうこれが見納めになってしまうのだろうか。


■前回の世界大会はオーバーワークが敗因

--世界大会まで一ヶ月を切りましたが、仕上がりはどんな感じでしょう?
山崎「まだまだ、これからですね…」(インタビュー実施日10/22 )

--山崎選手も既にベテランなので、調整で直前にバタバタするって感じでもないでしょうからね。
山崎「大きい怪我とかがないんで。もう後は練習は普段からやってるんで、後は自分のコンディションを100%近くにもっていって、試合するだけですね」

--まあベテランということで、そうしたプラス面と同時に、マイナス面もあると思うんですが、例えば疲れが溜まりやすくなってるとかはないですか?
山崎「んー、やっぱり始めて十年ぐらい経ちますけど、疲れますね。正直、最近『疲れた』が口癖になってきて、言いたくないんですけど、ぽろっと口から出ちゃうんですよね」

--どんなときですか?
山崎「そうですねぇ…練習の前とか。後は朝職場に行ったときとか。着替えてる時に『ああ疲れたな』って、仕事やる前から疲れてるんで。ホントはダメなんですけどね(笑)」

--お仕事はなんでしたっけ?
山崎「一応公務員で、肉体労働してます(笑)」

--じゃあ、仕事自体が練習の差し障りになるということはなさそうですね。
山崎「そうですね、時間自体は取りやすいんで。時間的にははっきりしてていいんですけど、肉体労働なんで疲れやすいですね。あと睡眠時間が不規則になりがちな仕事なんで、睡眠が取れないっていうのが辛いですね」

--ああ、それは辛いでしょうね。シフトがあったりするんですか?
山崎「ええ」

--そういえば、この間公開練習のときにも姿が見えなかったんで、多分仕事の関係なんだろうなとか思ってたんですが
山崎「まあ、練習のダメージも最近溜まってたんで、ちょっと休みたいっていうのもありまして。ちょっとスパーリングやりすぎて、ダメージが溜まってたんで」

--そうですか。以前、藤松選手が怪我で休む事になったときも、試合のダメージだけじゃなくて練習のダメージが溜まってたんじゃないかと、東先生がおっしゃってましたが、本部道場ではやっぱりそれだけトップ選手がガンガンやり合ってしまうんですか。
山崎「週に一回か二回ぐらいなんで、そこまでひどくはならないと思ってはいるんですけど、最近グローブでの練習が多くて、強めに練習やってたっていうのもありますね」

--実際、大会まであと一ヶ月を切って、これから具体的にはどういう追い込みになりそうですか?
山崎「まあ、もう技術的なことはこれから向上するってことは難しいと思うんで、スタミナの方を上げて行って。あとはコンディションですね。疲れを溜めない。身体をベストの状態に持って行くのを一番に考えて練習する事になると思いますね」

--今回二回目の世界大会と言う事ですが、前回と比べて心境的に違う部分とかはありますか?
山崎「第一には、緊張感が少ないですね(笑)まあこれは良い部分でなんですけど、前回(2001年11月)はホントに“僕がやんなきゃ”みたいな気持ちが強くて、なんか取材受ける度に、『世界大会、世界大会』って自分が広報のつもりでいろんな人に言ってたんですけど、今回はもうちょっと下がった立場で、自分は一選手でやるつもりでいますんで。かえってコンディション的にはいいんじゃないでしょうか。前回が最悪だったんで」

--最悪というと
山崎「前回は超重量級で出てて、スゴい練習してたんですけどね、ちょっとオーバーワーク気味で。自分では試合3日前ぐらいには身体は仕上がってるつもりでいたんですけど、他人からみると明らかに疲れてて酷いなと言う状態だったらしいんで」

--ちょっと意識が勝ちすぎてたんでしょうかね
山崎「そうですね。実際に試合してみても脆かったですし。ちょっと前回は自分自身のプレッシャーで負けちゃったかなっていうのが、一番あったんで」

--結果的にも少し不本意な部分がありましたよね
山崎「行けると思ってた時に行けなかったんで。全然身体も動かなかったんで」

■ベストウェイトで背水の陣

--山崎選手の場合、いろんな階級で試合しますよね。ウェイトを変えちゃうというのも、影響はあったんじゃないですか?
山崎「基本的に、大道塾にはいった段階で無差別志向で、一番重い階級でやってたんですけど。一回無差別で優勝して、その次の年の体力別とかは、あまりいつも同じ顔ぶれと競り合っててもしょうがないなと思って。まだ世界大会まで時間もあったんで、まあここで一回軽重量級でやってみようかなって思って、減量して出てみたんですけど…。まあ僕にとって格闘技っていうのは、人生のオマケみたいなもんなので、、如何に自分が楽しく遊べるかっていうのが重要なんで(笑)同じ事やってても飽きちゃうんで、一回軽重量級挑戦してみようかなって思ったんですけど。あのときは思った以上に減量がキツくて(笑)五キロぐらい落とせば良いかなと思ってたら、結局十キロぐらい落とさなきゃダメだったんで」

--大道塾の場合、体力指数ってことで身長+体重になっちゃうんで、普通の減量とはまたニュアンスが違って来ちゃうのかもしれないですね。
山崎「そうですね。ちょっとあのときは、無差別が終わった段階で身体が大きくなってたんで、かなりキツかったんですけど(笑)」

--では、山崎選手のなかでは、やはり本道は無差別だと
山崎「この競技でこのルールなら、無差別も出来るかな。無差別が面白いだろうなっていうのがあったんで。あと、社会人で仕事しながらやってますんで、正直仕事しながら減量もっていうのは厳しいなっていうのもあったんですよ。で、無差別でずっとやってきたんですけど。今回の世界大会も、超重量級出るか、重量級で出るかっていうのは結構迷った事は迷ったんですけどね。これまでずっと超重量級でやってきたんで、そこで階級落として出るって言うのはちょっと逃げに繋がるかな、っていう気持ちも自分の中であったんですけど。まあ藤松とか他の選手も超重量級で居ますし」

--ある意味、超重量級王者が、世界王者であるってニュアンスが強いですもんね。
山崎「そうですね。ホントのナンバーワンって感じがするんで、かなり悩んだんですけどね」

--実際のところは重量級がベストウェイトになりますか
山崎「特に減量も要らないし。まあ、それでも基準値よりは少ないんですけど、肉体的な意味ではベストでしょうね」

--その意味では、今年の体力別で重量級を取ったという事で、世界大会もこれで行こうっていう気持ちが定まったって感じですか。
山崎「…超重量級で出てもよかったんですけど、自分より大きな体格でスピードが遅い選手とやるよりも、同じような体格でスピードが速い選手とやるのは、また違う事なんで。それなら重量級でやってみようって感じだったですね」

--これは邪推になってしうのかもしれないんですけど、やっぱり東先生の中で日本の大道塾勢が優勝しなければっていう意識が高いんで、重量級に山崎選手、超重量級に藤松選手が、みたいな感じで勝てる布陣を引いて行いたんじゃないかなと、日本人同士の潰し合いを避けるシフトだったんじゃないかなと思ったりもしたんですが。
山崎「そういうのは無いですね。先生はそこまで考えられてたかもしれないんですけど、結局は個人なんで、個人で選んだ階級に出てって感じですね」

--逆に言うと今回ベストウェイトで出るわけですから、負けるわけにはいかないっていうのもありますね。
山崎「ここで負けたら単純に“弱かったんだ”っていうことになりますんで。そこらへんはプレッシャー…つっても大して掛かんないですけど(笑)言い訳は確かに言えないですよね。『相手がでかかったとか』『減量がキツかったとか』そういうのは確かに言えないですよね」


■最後の北斗旗、最後の世界大会

--今回頂いた選手資料の中で『今回を集大成にしたい』という発言があったと思うんですが、かなり期するものが大きいのかなという印象を受けたんですが。
山崎「ええ、そのつもりで居たんですけど、結局普通にここまで来ちゃいましたからね(笑)まあ、もう長いんで、そこまで『試合だ』って言って思い詰めるような事はなくなっちゃったですね(笑)。普通の生活も忙しいんで、ハイ。かえってその方がいいかなって言うのもあって。今二週間、三週間弱あるんで、まあ一週間前ぐらいになったら、少しは緊張してくるのかな、みたいなのはありますけどね」

--まあ、それが社会体育としての空道のいいところなのかな、と思ったりもするんですけどね。
山崎「あんまりにものめり込みすぎないんで、かえっていいのかも…疲れちゃうんで(笑)身体が疲れちゃうのもありますけど、気持ちが疲れちゃうのはヤなんで、ハイ。『気がついたら試合だな』ぐらいの感じが一番いいんで」

--ある種“達人”の領域ですね(笑)
山崎「でも今もう、みんなそうですよ。僕の周りももうみんな長い人が多いんで」

--2003年の体力別大会に長田選手が出ておられて、以前はスゴくし合い一つ一つに悲壮感の漂っていた気がするんですけど、あのときはもう非常に自然体で闘うようになってたのが印象的で。藤松選手に負けた後も『もう一試合したかったなあ』って言葉があって。これはアマチュアの良いところだなと思ったりしたんですけど。
山崎「まだそこまで割り切れる所までは行ってないと思うんですけど。基本的に勝つ事にだけはこだわりたいですね。負けたら悔しいんで。ホントに悔しいし、勝つために試合をするんで。『負けても頑張ったからよかった』みたいな気持ちは持ち合わせてないですね」

--その辺は、山崎進健在って感じですね(笑)
山崎「それだけは、そこら辺はどんなに年とっても、どんなに忙しくなっても捨てたくはないですよね。変な意味で丸くはなりたくないです。いつまでもトガって居たいし。そうじゃないと…なんだろやっぱ試合に出ないですね。勝つために試合に出るんだから、どんだけ身体がキツくたって、追い込まれたって、『勝つためにやるんだ』って気持ちがあるから最後まで闘えるんだと思うし。『頑張ればいいや』とか『もう年だから』なんて言ってるようじゃ、やっぱり最後の最後じゃ負けちゃうでしょうね。絶対折れちゃいますよね。相手も勝ちたいんだし」

--特に今回は世界大会ってことで、国内の力の知れた選手同志の凌ぎ合いと言うのとは、また意味合いが違いますからね。その意味ではやはりロシア勢に代表される海外勢力との戦いが中心になるわけですが、出揃った顔ぶれをご覧になって、いかがですか?
山崎「まあよく判んないですよね、ロシアって(笑)結構、最初に当たりそうなマックス選手とかは、こっちに練習に来た事もあるんですよね。会った事はあるんでどんな感じかぐらいは判るんですけど」

--東先生的には、ゴルバチョク・イワン、レシェトニコフ・イワンの“Wイワン”が手強いと見てるようですが
山崎「多分、身体の強さがあって、パワーがあると…いうのは判るんですが。あと基本的にスタイル的にはロシア人って一緒なんですよね。直線的に前に前に出てくるんで、何となくイメージは判るんで。その前に出てくる圧力がどのぐらい強いか、ですよね。思ったほどもなければ行けるだろうし、あまりにもスゴかったらキツいかなっていうのはあるんですけど。」

--山崎選手の場合、順当に行けば決勝でレシェトニコフ選手と当たるかもって流れですね。
山崎「ロシア、ロシアってみんな言うんで、こっちまで『そうなのかな』と思っちゃうんですけど(笑)」

--山崎選手が決勝に上がるとなると、相手は誰になりそうですか?
山崎「うーん、このロシア人(レシェトニコフ)と清水選手のどっちかでしょうね。順調にいけばその辺が来ると思うんですよね。清水選手も調子さえ良ければ…普通に闘えばまあ、上がってくると思うんで」

--そうなると清水選手と同門対決になりますが…
山崎「過去二回、いや三回やってますね」

--確か、2004年の無差別の決勝がこのカードでした。
山崎「ああ、そうですね。やりやすくはないですね。良いときの清水選手っていうのは本当に強いんで。まあできればやりたくないなって言うのがあって、今年の体力別も運良く当たらなかったんで、『ああよかった』と…今年はホントに調子悪かったんで(笑)。結局怪我も治らないまま試合してて。決勝が清水選手来るかと思ってたら、来なかったんで。総本部なんで、普段から練習してるんで、手のウチとかはホント判ってるんですけど、まあやっぱり試合では当たりたくないですよね」


--世界大会で日本人同士というのもどうなんだろ?っていうのもありますからね。
山崎「はい。確かに日本人対外国人のほうが、見る側的には面白いと思うんで」

--山崎選手自体も燃えるんじゃないですか、外敵のほうが。
山崎「外側の人間が来て、勝ち上がっていくのってムカつきますからね」

--実際、2003年の無差別でロバーツ選手と当たった時には、ものすごいガッツでしたからね(笑)
山崎「(笑)そうすね。ああいうシチュエーションの方が面白いですよね。周りも見てて面白いから盛り上がってたじゃないですか。それを感じて『いいなあ』と思って。ああいう試合はもうしたくないですけどね、キツかったんで(笑)」

--でもあれはスゴかったですね。ディファが「山崎祭り」みたいになってましたから(笑)
山崎「ああいうのは、イイっすよね(笑)。世界大会は体力別なんで、見るところがバラバラに散らばっちゃうんで、ああいう感じにはならないでしょうけど(笑)」

--いや、決勝まで進めば、また「山崎祭り」ですから(笑)
山崎「いいですね、そうなってくれれば(笑)」

--今回は四年に一度の世界大会であり、山崎選手は33歳と言うことで、さっきも“集大成”みたいな言葉もあったんですが、まだ「通過点」と考えるべきなんでしょうか? それともここで一つ「区切り」と考えていいんでしょうか?
山崎「ううーん、まあ『ここで一つ』でしょうね。年齢的に北斗旗はこれで終わりかなあ、とも考えてるんで。もちろん練習とかはやって行きますけどね、指導とかもありますんで、続けてはいくんですけど。とりあえずこれで一回休もうかなって」

--それはやっぱり年齢的なものですか? それとも環境をふくめて?
山崎「まだ練習やって向上しようという気持ちはあるんですけど。試合があっての練習と、試合が無くての練習とでは気持ちの構え方が違うんで。絶えず試合を意識していることは肉体的にも精神的にもプレッシャーが大きかったんで。まあここを一つの区切りにして。後はまたやりたくなった時に、もう少し気楽なスタンスで格闘技やって行こうかなって思ってますね」

--気楽なスタンス?
山崎「『大道塾の山崎だから、やんなきゃ』みたいな感じでずーっと十年ぐらいやってきたんですけど。頭の中、大道塾の事だけになって。一応チャンピオンにもなってるんで、その責任感が強くなってたんで、最後の方は。負けられないって思って。そういう立場の試合を一回止めて、普通の『格闘家・山崎進』でやっていければいいかなって」



■「格闘家・山崎、家庭人・山崎」に戻りたい

--それは北斗旗以外の戦いも含めてってことですよね。
山崎「場所は判んないですけど、なんか試合をすることがあったら『格闘家・山崎進』でやりたいな、と。大道塾と空道の方では後進の事を、ですね。今も教えてる子とかも居るんで、そう言う子達に対して、もっと教える事に力を入れていきたいんですね。後輩がもっと勝てるようにして行きたいなあと」

--それは山崎「外」の舞台も意識してって感じですかね
山崎「意識っつうか、総合を一時期やってた時期もあって、自分の中では『もう、いいや』って感じにもなってたんですけど、最近はまたちょこちょこ練習してるんですよ。やっぱり結構面白いなって思って」

--確かにWARSもあって、美濃輪選手との試合なんかもあって、パンクラス参戦なんかもあって、一時期山崎選手のベクトルが外に向かって放射されてた時期って確かにあったと思うんですね。その後世界大会があって、一回収束して、また空道に戻ってっていう流れになってたと思うんですが。逆にもう一度外へという気持ちがあると言うのは、正直、今日聞かせていただいて初めて知りました。正直、失礼な話ですけど、意外だなとも思ったんですが。どの辺でその気持ちの転換があったんでしょう?
山崎「練習ちょこちょこやってて、面白いなって思いはじめたのが大きいですかね。やっぱり技術的にもちがうんで。相手も『山崎だ』って思うと組んでくるんで、組んでくるのをどう捌いて、とか打撃に行くとか。あと単純に寝技自体も面白かったりするんで、ハイ」

--そうですね。空道だったら『ここで引きつけて頭突きだ』みたいなシーンも反則になっちゃいますし。技術自体違うっていうのが、面白いって言うのは空道をやり抜いて来た山崎選手だから言えることでしょうし。空道と総合の架け橋みたいな人は絶対必要ですね。
山崎「チャンスがあれば、ですよね。まあ判んないですけど。とりあえず練習はそいった感じで、裸の総合なんかをもっとやって行こうってぐらいしかないですけどね」

--空道自体発展するためには、外に拡散して行く力と、内側に収束して行く力と両方があって、初めて転がって行くものだと思いますし。外に出て行くつっても今回結果を出さないとダメでしょうし(笑)
山崎「そうですねー(笑)まあ、世界大会が終わったら、格闘技の方はそうやっていって、後はもうちょっと家族の方に…力を注ぐ、っていう言い方もないですけど(笑)時間をもっと割けるようにしていきたいなと、思いますね」

--社会体育の基本ですね(笑)頂いた今回の資料にも『一番大事なものは、妻です』って明言されてたんで、男らしいじゃないか、と(笑)
山崎「いや、とりあえず…そう書いとけば、怒られないかな、と(笑)」

--(爆笑)…まあ、練習とかあると、家族サービスとかはやっぱり二の次って感じですか。
山崎「ほとんどしてないですからね。要するに一日仕事で空けて。帰って来ても一日寝て、あとは練習でどっか行っちゃうじゃないですか。あとは、あんまり居ないですからね。帰って来てもまた寝ちゃいますからね、飯食って(笑)で、こっちも疲れてるんで、ゴロゴロしちゃいますからね。基本的にどこにも行かないですから。そういうのが、悪いなと思うんで。そう言うのにも少しは時間を割いてあげたいなと、思いますからね。自分もそういう風にしたいなとも思いますんで。確かに今ホントに真剣に格闘技をやっちゃうと、かなり時間がなくなっちゃうんで、もう一杯一杯ですね」

--奥さんはなんか格闘技に関してはおっしゃいます? 『もういい加減にしてよ』とかも含めて(笑)
山崎「いや、そういうのは全然。それはもう昔から理解があるんで、『私の事はイイから、やりなさい』みたいな感じで言ってくれるんで」
--じゃあ逆にそれに報いてあげなきゃいけないですね。
山崎「そうですね。はい」


■自分の100%さえ出せれば、勝てない選手は居ない

--それに33歳と言うと、仕事でも大分地位というか、重要な存在になって来ますしね。空道以外の事も考えなきゃいけない年なのかもしれないですね。
山崎「まあ、全ての意味において。人を殴る蹴るだけじゃなくていろんな意味で、社会的にも、精神的にも、できれば経済的にも『強く』なりたいですよね。一人の人間として、男として。まだまだ全然未熟なんですけど」

--これがまたプロ格闘家だと、また考え方が全く違っちゃうでしょうけどね。以前、山崎選手がパンクラスに出た時かな。「自分は格闘技に対してプロでありたいので、試合に出てもらうギャラとかで心を揺らしたくない」という名文句があって、それが強く心に残っているんですけど
山崎「あ、そうですか…そんな事言いましたか(笑)」

--言いました(笑)だから、ああ、この人は本当に武道家なんだなと。大道塾には“社会体育”という理念があって、アマチュア主体に、みんな仕事を別にもっていて闘っているという理念があるじゃないですか。それをやはり血肉にしてるからそういう言葉が出るのかなと、感じたんですね。
山崎「まあ、人それぞれだと思うんですけどね。僕の場合は格闘技が好きでやってるんで。そりゃ、もちろん好きな事をやって収入を得て生きていければいいんですけど。僕の場合、仕事になっちゃうと、続けていけないと思ってたんで。『楽しいから試合をしてるんだ』って。それによって得る収入に関しては、どうでも良いよって感じですよね。何かみんなで練習できるような物を買ったり、個人で使わないで、みたいなことは思ってますけどね」

--じゃあ今の環境、今のスタンスが、一番格闘技をやる上では理想的だと。
山崎「いや、やっぱりキツいですけどね(笑)二十代の中頃…二十五、六ぐらいのころが一番良かったですけどね。肉体的にもまだまだ元気じゃないですか。仕事的にも、今ぐらいまで色々やらなくてもよかったし。もちろん独身だったんで。充実してたっていうか、いろんな事ができたんですけどね」

--練習環境というか、追い込み一つにしても違ったんじゃないですか?
山崎「ちがいましたね。正直、今は当時の三分の一ぐらいの練習しかしてないんじゃないですかね。ただ、当時の練習を今やったら確実に身体壊れちゃうんで。だから今は量は三分の一でも、集中してやるようにして、あとはコンディショニングですよね。ストレッチとかマッサージとかして、自分が持ってる物を100%出せるようにして、そっちに力を入れますよね。それがある程度経験を重ねて来たベテラン選手の試合に対する臨み方かなと思ってますんで」

--試合にも出るかもしれませんね。一直線にぶつかって行くだけじゃなくて、どうやって試合をまとめるか、みたいな部分でも。
山崎「正直、自分の100%さえ出せれば、そんなに勝てない選手は居ないと思ってますんで。それがコンディションとかで、怪我してたりして、50%とかしか出せないとやっぱり負けてると思うんです。だから11月の13日までに、自分の100%を出せるコンディション作りをしていきたいと思います」

(2005年10月22日大道塾本部道場)



【After Word】「“悲運の闘将”の最終コーナー」

山崎の現役生活には、二つの大きな「悔い」が残されている。

インタビュー中でも触れられていた2001年第一回の世界大会での敗退と、そしてもう一つ、1999年4月大道塾主催で行われた対外プロ興行『WARS5』のメインイベントで行われた美濃輪育久とのMMA(パンクラチオンルール)戦である。

顔面のスーパーセーブを外し、頭突きありの極限ルールに挑んだ山崎は、美濃輪と流血戦を演じ強烈な印象を残した。しかし、ドロー裁定に終わった試合結果はあくまでルール上のもの。内容的には、事実上美濃輪のワンサイドゲームであった。生彩を欠いたエース山崎の姿に「やはり裸の総合に大道塾の技術は通じないのか」と肩を落としたファンも多かったであろう。

だが、この日の山崎の不調には、隠された裏の事情があった。この試合の前夜、山崎の職場では不意の徹夜勤務が勃発。彼はそれを終えてからリングに上がっていたのである。ほぼ不眠状態の山崎は、いきなり序盤に本来自分の得意技であったはずの頭突きを食らい流血。みるみる劣勢に追い込まれてしまったのである。その後は見るからにスタミナの落ちた山崎が、意地だけで美濃輪の攻撃を全て受け続ける展開となる。しかし、プロ格闘家である美濃輪は終始優勢に試合を進めながら、徹夜明けのこのアマチュア格闘家に、最後まで止めを刺す事が出来なかった。

当時まだ若手であった美濃輪はこの試合で、「看板を背負った」人間の底知れない恐ろしさを学んだのではないだろうか。その後、GRABAKAの侵攻に対してPANCRASEismの「看板を賭けて」迎撃に飛び出して行った美濃輪は、単なる対抗戦の枠を越えた「殺るか殺られるか」の渾身の名勝負を繰り広げ、みるみるスターダムを駆け上って行くことになる。そんな一連の戦いの原点となったのは、間違えなく山崎とのあの死闘だったのではないかと、僕は思っている。

今回のインタビュー中でも「『大道塾の山崎だから、やんなきゃ』みたいな感じでずーっと十年ぐらいやってきた」と当時の心境を語っていた山崎。

この33歳の格闘家は、今回「北斗旗引退」という枷を自らに課して、その二つの「悔い」に、“一格闘家”としてオトシマエを付けようとしているのではないかという気がする。今週末、代々木体育館で開催される「北斗旗世界大会」は、格闘人生の最終コーナーを全力疾走で駆け抜けようとしている、彼の“最初の戦い”となるはずだ。ぜひ一人でも多くのファンに、彼の完全燃焼を見届けていただきたい。(井田英登)





"2005北斗旗 第2回空道世界選手権大会"
2005年11月13日(日) 東京・国立代々木競技場第2体育館
開始・午前10時

◆ 観戦チケット
10月13日(木)よりチケットぴあにて一般発売
※塾生特別割引チケット、インターネット特別優待券、「空道入門」初版購入者特別割引券などの情報は、大会公式ホームページを参照。

◆ お問い合わせ
大道塾総本部 大会事務局 電話03-5953-1860

Last Update : 11/08 02:42

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