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November 2007
【MISSION】 Justiceの目指すもの
- 2007-11-17 (Sat)
- MISSION / Justiceの目指すもの

格闘技媒体として、十年間「Boutreview」を発信してきました。
その過程で、僕らはプロアマ問わず多くの選手や業界の人々と出会い、そしてイベント運営の実際やジム経営の大変さ、あるいは理不尽さを目にしてきました。業界に於ける、栄光や成功の光景も視なかったわけではありません、しかし、ジャーナリストとして現場に接する上で目についたのは、やはり多くの構造的問題点や有ってはならないような不合理の数々だったと思います。
しかし、媒体というものは、常にその現実に対して無力です。
かつてAP通信社の報道写真家ニック・ウットはベトナムの戦場において、家を焼かれ、親とも生き別れ、裸で泣きながら戦地の真ん中を走る孤児たちにカメラを向けました。本当は抱き上げ、その子らを保護したかったと思います。しかし、異邦から戦場カメラマンとして戦地に入った彼には、その現状に介入できる「現実」がありません。ただシャッターを押し、その悲惨を世界に伝える以外出来る事が無い。また、仮に目の前の子供一人を救っても、戦地には何千何万という同じ境遇の子供が放置されていて、その一人一人を救うことは彼には出来ないと知っていたからです。
彼の撮った写真は優れたジャーナル作品として評価され、ピューリッツァ賞を授賞、彼個人を有名にもしました。それぐらい心を揺さぶる衝撃的な映像だったのです。紙面に掲載されたこの写真に胸打たれた読者は、ひとしきり顔をしかめ、時に泣きもしたかもしれない。
けれど、またページを伏せると、朝食の皿に戻って行っただけのことでしょう。
ニュースとはそうやって消費され、意識の外に押し出されて行くものです。
翻って格闘技の世界の現実の話。
ニュースを綴る僕らが、マネージメントビジネスに踏み込んだのは、もっと現実に対して何か有効な働きかけが出来ないか。早い話、この業界に何か新しい現実を付け加える事が出来ないかという、“あがき”だったと思います。
ポテンシャルはあるのに、政治力が無いために上がるリングが無い選手が居る。あるいは契約に関わった人間が中間搾取をして選手のお金を横取りする。また、国を渡って海外で活躍したいのにルートが無い。自分をもっとアピールできるスタイルやマッチメイクを考えて欲しい。練習環境やスポンサー探し、あるいは媒体露出を手伝って欲しい…etc
いろんな選手やイベンターの悩みに直接介入し、それを打開する手段を提供したい。それが僕らの最初の動機でした。
2003年頃からその活動は既に始まっており、入江秀忠とキングダムのサポートから業務を開始しました。その後、彼らとは目指す物が違う事が判り、道を分ける事になりましたが、アレックス・ロバーツと空柔拳会館、三島☆ド根性ノ助、花澤大助13ら総合格闘技コブラ会といったすばらしい契約選手を得て、今日に至っています。
当初は、「書き手のアルバイト」と受け取られるのが苦痛で、その実体を隠すように活動してきましたが、専属選手のマネージメントの他にも、BoutreviewUSAのシュウ・ヒラタやブラジルでのパートナーであるティアゴ岡村らと組んで、日本の選手を海外に送りだす事業、また海外の選手を日本のリングに上げる業務など、仕事の幅も広がってきました。時にイベントのプロデュースや、団体の経営や提携の仲介などのコンサルティング業務まで手がけるようにもなりました。もう、決して“副業”とは言えない実体が有る以上、隠す必要も無いだろうということで、今回HPもつくり、全面的にこの仕事の実体をみなさんにお伝えする事にしました。
ただ、マネージメントビジネスというのも、多岐に渡ります。プロモーターの注文を受けて、ブッキングできる選手を探すだけの「ブッカー」も居れば、選手のキャリアメイクや練習環境までに関わる、いわば個人契約のコンサルタント的立場の人間も居ます。僕らがやりたいのは、後者であって、前者のような“人買い稼業”ではない。如何に選手の持つ資質と可能性を広げ、ベストの形でファンの目の前に届けるか、それが仕事だと思っているからです。
それは結局、媒体として「書く事」「伝える事」とも同じ軸を持っている行為だとも思うのです。未開拓の選手情報を「発見」し、「磨き」、そして「アピールする」のは、媒体としてもこれまで散々やって来た事だからです。選手が十全に活躍できる手助けをしていけば、最終的にその結果はファンに届く。誌面でニュースにするか、イベントのリングで押し上げて行くかは、“手段”の違いでしかない。
リングとファンを繋ぐ“一本道”を築こうとする目的意識には、何も違いはないのだと。そのことに気づいたのは、マネージメント業務を進めていく過程でのことでした。
実際に自分が手がけ、リングに押し上げた選手が、すばらしい試合を繰り広げてくれた時、客席が沸き、賞賛の拍手を送ってくれるのを目の当たりにしてみて、初めて自分が何をやっているのか、どう役立ててもらっているのか、気がついたのです。
最初の報道写真の例えに戻るなら、僕らは取材対象として放置すべき子供の手を握って、一緒に走るという越境を犯しているのかもしれません。ジャーナリストの客観性を捨てて、金儲けに走っているだけだ、と悪し様に言う人も少なくありません。
しかし、自由と平和を希求する思いがあるなら、カメラのシャッターを押すより、目の前で泣いている子供の手を握る事が必要な時もあるはず。そして、その思いが高じて、“傍観者”の仮面をかなぐり捨てる必要になるなら、その心の声に従うべきだと思うのです。
もちろん、僕らはカメラを置いたわけでもないし、ペンも折ったわけでもありません。戦場の悲惨を我が事として引き受け、孤児の手を引く当事者の視点と、記者の理性を併せ持って撮る写真のほうが、さらに読者の魂に伝わる物を作れるはずだと信じています。
ただ、その二つの立場の線引きは、厳しくやっていこうと思います。折衷の半端を犯し、自前の選手の提灯記事を書くようになったらおしまいです。その歪みは文章や写真に出るはず。現在はできるだけ自分のマネージメントする選手の記事は書かないようにしていますし、同じ大会でもマネージャーとして会場入りするときは、他の記者を立て、僕はレポートしない。その体制を出来るだけ守るようにしています。ただ時に人手の問題や、逆に記者として感じた事があって記事を書く時もあるとは思います。そのとき、僕がどこに線を引き、何を律して書いているか、行間を読んでいただければうれしいと思います。
むしろ記者専業でやるとき以上にハードルが上がっている事を、僕自身は十分自戒しているつもりです。もし、その線引きが甘くなり、客観的に見て“我が子可愛さ”に溺れているように感じられたら、その時は容赦なく、僕らの記事を見捨てて、「井田はダメになった」「ばうれびは日和った」と石を投げてください。
その危険を自覚しながら、僕らは今後も文章を書いていくし、また選手をサポートして行くつもりです。1+1が2になるだけの兼業ならやりたくないし、やりません。インサイダーとして得た情報を、安易にスクープとして垂れ流すハイエナのような仕事をしたいのでは有りません(それを危惧する業界の方々も多いとは思いますが)。
コンプライアンス(遵法精神)が高々と言われ、フェアプレイを世が求める時代に、永遠の傍観者である記者稼業だけではできない仕事、現場に足を踏み入れない限り絶対変えられない現実に、選手と一緒に立ち向かって行くつもりです。
PRIDEの崩壊にも見られるように、今、世間は再びプロ格闘技に対して、ダークでうさん臭いヤクザビジネスではないのか、と言う疑惑を投げ掛けてきています。ですが、本来「真剣勝負」のリングに求められてきたものは、「正々堂々」と「裸一貫」の潔さであり、プロレスのような曖昧さも、針小棒大の偽装も介入できない、まじりっけなしの「公明正大」こそが格闘スポーツの最大の魅力だったはずなのです。ならば、僕はその息吹をこの業界に取り戻す仕事がしたい。いみじくもこのセクションを「Justice=公正」と名付けた気持ちに恥じない仕事を、この二刀流で続けていこうと思います。
そして僕が関わる事で、泣き叫ぶ子供が一人でも二人でも笑顔を取り戻す事、それが平和の第一歩になるなら、僕は片手で子供を抱きかかえ、もう片手でカメラのシャッターを押しつづけるつもりです。(もし、カメラの重みに手が震えて、写真が「ちょっとピンぼけ」になったとしたら、「井田も大した事ねえなあ」と笑ってやってください。)
とりあえず、それがJusticeマネージメントを続けて行く意義であり、意味であると思っています。
2007年11月
Boutreview編集長/JusticeマネージメントTokyo
井田英登
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