03/09
ようやく今年に入ってからの体調不良が納まった感じで、ぽつぽつと仕事ができる状態になってきた。というわけで、この日記も再開であります。
ウチの記事を詳細に読んでくださってる方は、もうお気づきかもしれないが、二月の半ばぐらいから仕事も再開していて、レポートやニュースでも(井田)名義の物がちょこっとではあるが顔を見せはじめていたはず。
試合会場にも少しずつ顔を出すようにしているのだが、ドクターの厳禁指令を押し切って修斗の代々木大会に行った時には、会場の寒さにやられてまた咳がぶり返してダウン。担当予定だった直後のZSTをキャンセルしたりしているので、まだまだ全然本調子とは言い難い。格闘ライターとしてのお仕事は当面あまり出歩かずに、二ヶ月ほどお休みしたAll Aboutのコラムの契約本数分を消化するのが主な業務になりそう。
ただ、経営者としての交渉事は人に会わないと始まらない部分もあるので、お籠りばかりもやっていられない。年始からのブランクで、せっかく進みかけた案件もすっかり沙汰やみになってしまっていたりするので、泣く泣く外回りも再開。落ち着いて物を書ける状態になるのは、どうしても夜半を過ぎてからの話になる。
加えて、お籠り期間中にすっかりサボリ癖がついてしまっているのも難点のひとつ。ウチにはノラ上がりの猫が一匹居るのだが、こいつがまつわりついてくるので一緒に遊んでしまったり、CSの契約局を増やしたこともあってだらだら海外の連ドラを見る癖がついてしまっていたりで、家に居ると書き物がまるで進まないのだ。
そこで最近はもっぱら夜中にファミレスにパソコンを持ち込んで書き物をするのが、習慣になりつつある。
比較的ウチに近い某店は、無線LANのサービスがあるので、長時間居座っての書き仕事には非常に重宝する。テーブルも広いので資料関係を広げていても場所に困らないし、照明も明るい。夜中であれば客も少ないので、思いのほか作業がはかどるのだ。
それに以前と違ってドリンクバーの質も高くなっていて、コーヒー類も汲み置きが何時間もサーバーの上で煮詰まっている、みたいな状態ではない。ベーカリーカフェにあるような、ミルつきの自動エスプレッソメーカーが置いてあって、それで一杯一杯碾きたての物を作れる。紅茶系のティーバッグの類いも豊富で、ハーブティが何種類も置いてある。(これでBGMがダサくなきゃ、もっといいのだが、こればっかりは持ち込みのi-PODでフォローするしかない。)いずれにせよ、外食産業の競争激化のおかげで、300円かそこらのサービスとは思えない物が提供されるようになっているのには感心してしまう。
そのかわり、可哀想なのはオペレーションの多いフロアサービスをこなしている店員さん。深夜なので客が少ないというのもあるのだろうけど、ほぼ100席近い店のサーブをたった一人でやっている。客単価の低い24時間営業店の宿命とはいえ、よくやるなあと思う。
今、現に僕はそのファミレスでこれを書いているのだが、午前三時段階で店には数組12、3人の客が居る。注文の度にテーブルに置かれたコ煩い呼び鈴で呼びつけられ、しこしことドリンクバーのアイテムの差し替えをやり、レジを打ち、料理を運び、決まったオペレーショントークを何百回とリピートし、客の汚したテーブルを磨く。合間に無駄話をしようにも、その相手も居ない。ただ、ひたすらコマネズミのように働いている彼の顔面にはあまり表情が無い。「疲労」というより「倦怠」なんだろうな。店に入る直前に見た、深夜枠の時給1200円という値段も、決して高くない気がしてくる。
早く、この程度の作業ならこなせるASIMOが出てくるといいのにね。
とはいうものの、ただ単に仕事をこなすという意味合いでは、この環境は非常にありがたい。店のサービスだけじゃなく、適度にざわめく他人の中で、しゃべる相手もなく黙々と一人キーボードを叩いているという、ちょっとした疎外感がまた集中の助けになるのである。
元々、Macユーザーとして二台目が、彼の七色リンゴ時代の名機PowerBook2400で、以来ずーっとブック型の愛用者なので、モバイルコンピューティングには抵抗も無い。ただ、タバコに弱いので、ファミレスライティングというのはちょっと苦手だったのである。最近になって分煙環境もきっちりしてきたので(ちなみにこの店では完全分煙で、レジを境に店の左右で壁面に遮られてしまい、相手側のスペースが視野にも入らない。向こうに別個にドリンクバーとトイレがあるのではないか、と思うほど完全に客の交流が無い。)ようやくこれで仕事場として使えると言う感じ。
ちょっと前に海外ネタのニュースでやっていたのだが、アメリカにはSOHO用にカフェオフィスみたいな業態があるらしい。24時間営業で、無線LAN完備、ファクスやコピーのみならず、簡単な文具販売もやっている。いわばカフェとKINKO'Sの合体形式みたいな店。…営業用の電話? もちろん携帯だよ(笑)。そのうち、日本にもこのスタイルが進出してくるかもしれない。
まあ、やる気満々のビジネスマンだらけの店より、大声でアホな恋バナに熱中してるお嬢ちゃんたちや、デイトレーディング入門本片手に真新しいブックパソコンを叩いてるホスト風の兄ちゃんとか、弁護士らしきオジさんを顔を真っ赤にして怒鳴りつけてるオバさんなんかが平気で同居してる雑多なファミレスのほうが楽しいけどね。
ただ、この“ファミレス書斎”にも唯一困った点がある。
一階部分が駐車スペースになっているせいか、店の横をトラックが通るたびに床が微妙に揺れるのである。大した揺れではないのだけれど、逆に大した事がないせいで意識してしまう。ロードサイド店ならではの密かな問題点といったところかも。
まあ、ウチの事務所も横が線路なんで、この程度じゃ驚きませんけど。なにしろ電車が通るたびに、ゆさゆさ家ごと揺れるからね(笑)。
ということで、もっと驚く物で〆を。
朝まで頑張ったので、ご褒美に朝飯は美味い物を食おうと早朝の某市場食堂に足を伸ばした時の一枚。
この鬼のような盛りの刺身定食、いくらだと思います?
01/24
正月からe+のblog
「ばうれび海賊版」が始まっているので、「ああ、他所にスクリプトを乗り換えたのか」と思われたかもしれないのだが、あっちはばうれびスタッフ総乗り入れの“取材日記”でして、井田の個人日記とは別物。
去年、このBlogスクリプトを通じてサーバーにハッカーのアタックがあったそうで、そのセキュリティ対策が長引いて(したがって、まだバックナンバーはお蔵の中)、中断を余儀なくされていたのですな。「日々朦朧」は「日々朦朧」で続きます。
というわけで、改めて「謹賀新年」。
しかし、ワタクシ個人の2006年は今のところ壊滅的に悲惨でして、とても「おめでとう」とは言い難いものになっております。
大晦日の「Dynamite!!」の会場かどこかでインフルエンザ菌を貰ったらしく、三賀日明け前後に高熱を発してしまい、以来ずっと床に伏したまま。鳥インフルエンザが話題になった時に有名になった特効薬の「タミフル」を貰って、最初の高熱はクリアしたものの、その後も頭痛と咳が納まらない。ぜんそくでも煩ったように、ひっきりなしに咳が出て呼吸が苦しい。なんとかパソコンに向かおうとしても、すぐ息が荒くなって頭がふらついてしまうし、キツい咳でボロボロになった腹筋背筋が悲鳴を上げるので集中して原稿を書く事もままならず、この三週間ずーっと寝たり起きたりを繰り返している。
この謎の症状に、最初の医者はインフルエンザの再発を言いだすわ、セカンドオピニオンを求めて転院した先の医者は「原因不明だから漢方薬を飲みなさい」とトンチンカンなことを言い出すわで、全く治る兆候がない。結局、サードオピニオンを求めて、大手民間病院の院長の診断を受けたところ、言下に「インフルエンザ後の気管支炎」と診断されて、今は抗生物質漬けになっている。
ただ未だに咳は納まらず、ここまで書くのも一時間近く掛かる始末。
今年が「後厄」で、正月のおみくじが「凶」のダブルインパクトだからって、ここまで祟るか? 普通。
まだ、ちょっと出口が見えないのであります。
※※※※
病床に居ると、出来るのは寝るか飯食うかTVを見るぐらい(案外読書もできるが、すぐ寝ちゃうのでぶつ切りになるのが難点)。
そうこうするうちに、このBlogでも
何回も嫌悪感を公言してきたホリエモンが逮捕されてしまった。先日までのモテ囃し様から手のひらを返したようなバッシング報道が続くので、ちょっと呆れかえっている。
「水に落ちた犬は打て」が報道の基本原理なのかもしれないが、それまで散々無批判に堀江関連情報をばらまいて来た自分たちの立場を、綺麗に忘れたかのごときこの態度。「ずーっと胡散臭いと思ってた」なら、なぜそれを「水に落ちる前」に独自の視点として明快に語らなかったのだろう。
マスコミが面白おかしく彼を祭り上げたことで、彼の存在には「ハク」が付き、その“金メッキ”に騙されてライブドアの株を買った人間も多いはず。20万にものぼるというライブドアの個人株主達の“動機付け”を手伝った、マスコミの“アナウンス効果”は小さくない。薄ら笑いを浮かべて堀江の太鼓持ちのようなインタビューを行った古館伊知郎と、「私の息子です」とまで言って選挙応援を行った武部自民党幹事長とは、僕は同罪だと思う。
こんな所にも顔を出していた。
今回のライブドア摘発に関して、戦後の混乱期に現役東大生が金融業を起業、一世を風靡した
光クラブの山崎晃嗣との類似や、政界との癒着構造を指して
リクルート事件を連想するといった言説が多いようだが、僕個人は、むしろ1990年代の「オウム」事件や1970年代の「連合赤軍」事件を連想する。
共に、20代〜30代の若い世代が既成社会の有り様に飽き足らず、共産思想や新興宗教の中に新たな打開点を見いだして不満層の若者を惹き付け、組織が肥大した後にバランスを失って暴走したケース。この構造を橋本治は十年単位でサイクルする“若年層の異議申し立て”=「安保運動」というキーワードで語っており(「80's」「僕らの近代史」他)、70年代安保=共産主義、80年代安保=サブカルチャー、90年代安保=宗教と、それぞれの年代の中心思想を位置づけている。堀江の奇妙に自我の張り出した風貌や独善的な言動には、オウム真理教の教祖であった松本智津夫(麻原彰晃)や、“密室の個人革命”を断行しようとした宮崎勤の影が容易に重なる。
今回、堀江という“教祖”が唱えたのは「金」を媒介にした既成社会の否定であり、「儲ければオトナが何を言おうと勝てる」という革命思想だった。正直、70年代当時の革命思想から考えると、あまりに安っぽく底が浅いわけだが、体制側は“十年毎の革命”をクリアする度に対応のマニュアルを蓄える訳で、不満分子が頭角を現す前に懐柔していくシステムを整えている。対する若者サイドは毎回泥縄式に突破点を探すのだから、テーマ自体はどんどん幼稚にーーしかし手段だけは巧妙にーーそしてトータルではどんどん実も蓋もない形に変質して行かざるをえなくなる。
さしずめ、今回の“ホリエ革命”は、先述の橋本治の「安保」十年サイクル論の伝で行くと、2000年安保は「株と金」を軸にした個人レベルの反逆ということになるのだろう。かつて70年代の赤軍派闘争が、階級社会の打破を目的にしていた事を考えると、「社会なんかどうなったって構わない。個人が資本を持って勝ち抜けばいいのだ」という彼の思想は浅はかで、とても“革命”とは呼ぶに足らない物にに卑小化してしまっている。その底の浅さが、逆に“体制側”の頂点に居る総理・小泉純一郎の「勝ち組」思想とシンクロして、選挙に担ぎだされたりもしたわけだが。仮にも「反逆者」として頭角を現した人間が、体制側に易々と取込まれてしまうあたり、完全に“敵を間違えて”いるし、目的意識が全く感じられない。
また、CFOの宮内亮次や自殺した元副社長の野口英昭、社長秘書の乙部綾子らなどの表情を今回の報道ではイヤほど見せられた訳だが、内向的で非常に脆そうなのに、一方で思い込みのキツそうな彼らの顔つきは、見れば見るほどかつてのオウム真理教幹部達を連想させる。ライブドアの株を買い、堀江を新時代のヒーローとして称揚したファン層は、さしずめ在家信者といったところか。(無論、根っこに明快な教義がない分、求心力は遥かに薄いのだろう。“ホリエ真理教”は一夜で洗脳が解けて“狼狽売り”の渦が巻き起こったのだから、金という媒体はつくづくシビアである。)
ニュースでも散々流れたライブドアの忘年会の映像(
探偵ファイルのスクープ)をご覧になった方も多いと思うが、実際オウムの集会以外の何ものにも見えない。数時間前の株主総会で無配を報告し、株主から「会社を個人の宣伝媒体にして、公私混同ではないか」と指摘されて、大泣きしたという映像とのセットで流される事が多いようだが、あんな嘘泣きは何処の会社の社長もやっている事。
むしろ、僕が気味悪いと感じたのは、あのパーティーでドカチン服で踊るカバみたいな堀江の姿に喝采を送ったりしている社員たちの熱狂ぶりの方だった。まさにカルト集団の熱狂というべきか。邪悪なムーミンみたいな顔をしたおっさんが、手足の短い我が身を省みず稚拙なダンスを披露しているのだ。 そんな姿を見せられたら「ウチの会社ホントに大丈夫かな?」と思うのが普通だと思うのだが、逆に「コイツが食わせてくれる。コイツに付いて行けば勝ち組になれる」そんな盲信が熱狂を呼んで、ムーミンダンスへの喝采となったのだとしたら、非常に嘘寒い。
また、ノーギャラ(!)でこの席に呼ばれたという、ものまねシンガーのKOBARYUがライブドア自画自讃歌(「大きな古時計」の替え歌)を歌わされているのだが、これも鳥肌物の光景を生み出す。歌の一節に「毎日休まずに接続、接続」という自虐的なフレーズがあるのだが、500人の社員が何の疑問も無くこのフレーズを楽しげに「セツゾク、セツゾク」とコーラスするのである。まるでオウムの「ショーコー、ショーコー」の歌を思わせる気味悪さだった。“内部批判”の視点を失った集団のあのゾンビ度が、何より「ライブドア」という会社=カルトなのだという証拠に思えてならない。
無論、浮ついた“勝ち組志願兵”ばかりがライブドアの社員だとは言わない。M&Aで無理矢理グループ企業と言う形にされただけで、以前と変わらず真剣に毎日の自分の職場を守っている社員も多いはずだ。実際、ウチでは、ライブドアグループに取込まれて社名変更する前からヴァリュークリックと取引をしているし、それは今も継続している。当初からウチを担当してくれているM氏は非常にマジメで実直な青年であり、彼が現場で仕事をすると言っている限り仕事を打ち切るつもりは無い。
でもそれはそれ、これはこれ。
とまあ、思いつく限りを備忘録代わりに書き連ねてはきたものの、「ライブドア=2000年型カルト(安保)集団」説をいちいち論証して行くパワーは、病床でゲホゲホ言ってるだけの今の僕にはない。そのうち誰かがきっとこの辺の視点でもっと緻密な論証を書いてくれるのを楽しみにしたい。(橋本治だったら是非読みたい。)
テメー、ンなどーでもいい事より、遅れに遅れてるDynamite!!のレポート原稿書けって?
んー…ゲホゲホゲホ…。
06/13
懸案事項が山積み。解決案は霧の彼方。
そんな精神状況でなにができよう。
無力感と厭世観と投げやりな気分と鬱と絶望のミックスジュース状態とでも言おうか。要するに、気分はローギアもいいところ。
正直、ガッコにいきたくない小学生の気分。
お腹のへそのごまを取って、足をバタバタさせて泣きわめいて、押し入れに閉じこもってふて寝をしてしまいたい。
また、そんな状態に追い打ちをかけるように、関西地方は今日から梅雨入り。
昔、自動車事故をやっているので、湿気が増すとテキメンに首と肩の関節が軋みをあげる。この鈍い痛みが首肩を支配しはじめると、タダでさえ鈍い頭が、さらに回転数を落とす。
会場取材にでるのなんか論外の億劫な気分だったのだが、どういう訳か朝からの雨は昼過ぎに止んでしまい、梅雨は開店休業。逆に涼しい風が吹いて、過ごしやすいぐらい。なんだかんだで駄々をこねる材料もなくなってしまった。
昼飯のあと、近所の古本屋を回ったり散々寄り道をして、愚図愚図したあげく、大会開始三十分前になんとか会場にたどり着く。実はまっすぐ行けば隣の隣の駅だというのに。
おエラい人に言わせれば、こういうのはどの職業にあっても全然ダメ男でしょう。プロ失格? いや、人間失格でもいい。
っつーか、誰かレッドカード持って来てくれ。
案に相違して、この日のプロ柔術関西の興行は非常に爽やかというか、適度にリラックスした感じが素敵な手作り興行で、楽しめてしまった。
正直、柔術の細かいテクニックに関しては判らない。
マットの反対側で取材してた、T島学の十分の一も判ってない。
でもそんな半可通にも面白かったんだよ、という気分だけは伝えたくてレポートは余分目に頑張って書いてみた。
梅雨の晴れ間の、インディアンサマー(とは言わないか)。
次が広島じゃなきゃ、そのまま梅雨明けでもよかったんだけれど…。
会場でいくつかの会話。
落ち込むというより憤激に近い。
あれこれどうでもいい事をウジウジ考えて、思考停止してる場合じゃないか。俺には俺の天命があるはず。道を探すよりぶち当たれってことか?
06/09
逼塞しております。
連日押し寄せてくるイベント、記者会見に馬車馬のように立ち向かって行くロシナンテ井原君を東京に残して、井田は所用を理由に大阪に避難。
ショップのリニューアルといくつかの交渉ごと、そして11日のプロ柔術の取材…とか理由は付けておりますが、実のところ合間合間はゴロっちゃらゴロっちゃらと眠り暮らしております。
ぐうたら以外の何ものでもないわけですが、当人には当人なりの理由がないではない。
長年の机生活のせいか、右肩と指の先に痺れのようなものが出ていて、それの治療をしたところ、“不健康の揺り戻し”でどっと疲れが押し寄せて来て起きれない。コレが一つ目の理由。
もう一つは、大きなテーマの判断が付きかねて、ずーっとそればかり考えて、考えあぐねておる…要するに思考停止状態なんですな(笑)
考え事の種は、他ならぬAll Aboutの記事の件であります。
掲示板にアレだけの書き込みをもらって、この日記でもご返事も書いてみたし、もうK-1パリと武士道という個々のテーマでは、そんなに書き足す事も無いとは思うんですが、根本の問題「格闘技イベントってこのままでいいのか?」ってテーマには何も答えがでていない。それを「これで一件落着」にしちゃっていいのだろうか、と。
この件については、掲示板のみならず、この不人気な日記には珍しくトラックバックをして頂いたり、個人的に励ましのメールを頂いたりで、通常にない流れに書いた方はオロオロするばかりなんですが、これだけ反響があったというのは、結局、多くのファンが今の格闘技イベントのあり方に多くの違和感を抱えているからじゃないのか? 仮にも業界の端っこに居て、その息吹を感じる立場に居るお前が、その声に応えなくていいのか? もっとみんなと一緒にこの問題を先まで考えて行くことをしなくていいのか? コップの中の嵐で終わらせていいのか?
多くの叱責の声がハゲ頭の中を反響し、ぐうたらでメンドくさがりの編集長は懊悩するわけです。
多分、そのテーマに本格的に挑む事になったら、ばうれびという媒体自体相当あり方を変えて行かなければならなくなるし、外からの圧力にも耐えられる体力を必要とすることになる。今でさえ吹けば飛ぶような状況のウチが、そんな大事に手を出すべきなのか? そもそも出す資格があるのか?
でも、それが本来「格闘技版・ロッキンオン」をやりたいと言い出して始めた、お前の原点じゃないの? 色々書きたいこと、書かなきゃって思ってた事があるくせに、結局All Aboutで小出しの小噴火で終わってて、毎回お前満足だったの?
悪魔も耳元で色々囁きます。
思いはかくも千々に乱れるわけです。
そんな中、いくつか文章もかいてみたけれど、どうにもまとまりが悪い。
当人の中に「これや!」という“得心”がないままに書いてるからなんですな。スコンと腑に落ちてくるものがない。
もう少しだけ、眠って考えます。
04/19
ライブドアとフジサンケイのM&A騒動を、百年後、この国の歴史教科書はどう書くのだろう?
ライブドア堀江氏のM&A手法のゲリラ性を揶揄する向きも多いようだが、早い話ゼニを媒介にした企業の喧嘩ではないか。喧嘩の勝ち負けに“品性”を問う感性は、それこそお上品に過ぎる。
確かに、堀江氏の企業買収手法は、コンテンツ自体の特性に配慮したものとはいいがたい。ネット関連企業だけに限っても、eudora然り、東京グルメ然り、したらば然り。買われたコンテンツはいずれも元々強い個性を持ったサイトでありソフトであった。しかし、彼らはライブドア傘下に入った途端牙を抜かれて、ただのポータルのオマケに成り下がっている。これは明らかにオーナーサイドの、買収後の失策に他ならない。
結局、ライブドアは「看板」を買っても、「人」は買わなかったのだろう。
正直、僕がBoutreviewを買いたいと言われても、彼には売りたくない。
Boutreviewの看板を買って、ライブドアの社員だかアルバイトだかが、このサイトを維持、発展させる事はできないと思うからだ。
Boutreviewは僕であり、井原であり、活躍するライター陣、小林 秀貴、若葉 り子、永田遼太郎、高田 敏洋、BOX-Tらが生み出す日々のレポート、そして、矢野成治、ひっとまん大場、米山真一らの写真、上村 俊信のデザイン、USAのシュウ・ヒラタ、フェルナンド・アビラ…誰一人欠いても成立しない。
過去にさかのぼれば、OBである薮本直美、横森綾、山名尚志、中村宜夫、なべ、山口龍、岩瀬俊、ぱわーほーる、石動龍、飯島 美奈子、磐田 レン、矢野祐、凱旋門パリ彦、今野夕子、仲村直、誉田哲也、慈村弓太 、高岡真子、原田容子、沢之崎薫、松本幸代、小笠原忠彦、茂木康子、上村彰、伍代柾、真砂嘉隆、ノリリン、駿之介、リハビリクラス、バーボン、がんた、堤靖彦、ばしゅ、長岡雄一郎、大塚あかね、中中中、狂乱ひつじ、若旦那、藤沢つえ、Ei-chang(万が一漏れがあったらスマン、自己申告プリーズ)といった多くの優秀なスタッフが、このサイトを成立させるために、時間と労力を提供してくれた。この全てのスタッフの人力=知力、体力、気力の総力が、Boutreviewなのである。看板は僕の独断で売る事も可能だが、中身を買い取るのは至難の技だし、そもそも誰にも譲ってやる気はない。
格闘技というニッチなジャンルに対して、情熱を注ぐスタッフの思い入れまでをM&Aする事は、いかな金満オーナーでもできまい。ソフトは人で作るものであり、その熱意を買うのでなければ、コンテンツ企業買収に意味などない。その意味で、企業が“我が社の理念に共感して出資してくれる人間にしか株は売らない”と言って非公開でツッパるのであれば、それはそれで見識ではあるし、僕も基本的に“そっち”サイドの人間でありたいと願っている。
だが、上場企業というのは、そんな個人商店とは別の発想で成立している組織である。公開市場から資金を調達し、顔の無い不特定多数のオーナーに、金融商品として株を売っている。企業価値に賭けるギャンブラーを集めて、その種銭で商売しているのである。企業本来の生産性からの収入ではなく、“期待値”をサイコロに変えて、24時間営業の鉄火博打をやっているだけの事ではないか。
Yahoo然り、ライブドア然り、楽天然り、いわゆるポータルビジネスの勝ち組というのは、IT産業への“期待値”でテラ銭をかき集め、上場の錬金術でそれを膨らませた連中である。当然、集めた金をさらに大きな賭けに投入してくる。
博打場のルールに従うのであれば、胴元が乗っ取られる事も当然。ましてフジとニッポン放送の持ち株逆転現象は、かつて内部でのお家騒動の副産物であって、よもや自分の手が真っ白だとは絶対言えないはず。たまたま賽の目を読み損なって、素っ裸にされそうになった御店の大旦那が、突然「賭博の是非」を言い出して居直るのは、カッコワルい。
日枝会長の言い分に感情移入するサイド、司馬遼太郎や山岡荘八なんかの歴史小説に日々のシノギを投影してしまうビジネスお父さん達にとって、“織田信長は素晴らしく、堀江はけしからん”という発想になるのだろうか? だとしたら、ちょっと笑える。
そもそも人の歴史はずーっと血塗られた武闘の連続で築かれて来たわけで、弱者がいれば強者が必ずそれを食おうとする。理非を問うならば、人は生存できなくなる。
まだ企業間のM&Aの方など、商法の範疇で行われている分、まともなぐらいだ。手段としてはお上品とは言えないが、筋は通っているしフェアだ。少なくとも人は殺していない。
歴史教科書で延々「人殺しの歴史」を淡々と教える一方で、非暴力を説いてきた教師たちも、そんなお父さん史観と全く同様のダブルスタンダードを抱えている。
この国のスタンダードが、憲法に謳われた中立非暴力にあるというなら、その“非暴力の歴史観”に基づいて、戦国時代の血塗られた暴力、中世の圧政、そして近代の軍国主義を、きちんと一貫して批判する視点を確立していなければならない。
「世界に誇る憲法第九条堅持」を謳う社会民主党のセンセ-方の、誰が完全非暴力史観を持っていらっしゃるのだろう?
本当に戦後日本が、これまでの血塗られた歴史を一切継承しないというなら、天皇制や軍国主義など近代に限られた経緯ではなく、ネアンデルタール人がクロマニヨン人に取って代わって以降、人類が暴力によって獲得した文化アイデンティティを全否定するぐらいの、“筋の通った”歴史観を確立すべきなのではなかったのか。
記号化した事実だけを脳に詰め込んで「この年号は試験に出ますよ。その時になって、泣くよウグイス平安京」とか言ってる教師に、非暴力を教わってもピンと来るわけがない。
そんな想像力を欠いた教育しかやって来なかったから、少年少女は教師の言っている事が判らないし、理解もしたくなくなる。そして海外から教科書の中身にケチをつけられても、それに対する理論がないので、無能な被害者面をしながら、言葉を失って立ち尽くしてしまうのだ。
思想とは、「事実をどう解釈するか」「どう意味付けるか」である。
その確固たる視点が無いために、我々日本人は“ここにこうして在る”事を揶揄されているというのに、何一つ己の正当性を主張できないのである。
中国、韓国の反日暴動も結局同じ話で、「お前ら日本人は他国を踏んづけてパワーゲームでのし上がるライオンのままなのか、草食動物のウサギちゃんに生まれ変わるのか」ーー日本はそのアイデンティティをはっきりしろと、問われているに過ぎない。それもはっきりしないまま、国連の常任理事国の“看板だけ欲しい”と言い出すのは、確かに薄気味悪い。
彼らは、戦後日本と戦前の大日本帝国が連続した国家であると考えている。だから、“持ち札”である戦争責任をフックに、現日本の経済成長を「我々の犠牲の上の繁栄」と位置づけてモノを言う。
“俺たちを踏んづけて作ったその繁栄の分け前をよこせ。そして“これからの俺たちの食い扶持を奪うな”と言っているのである。
一方、腑抜けた我々日本人の国家認識というものはどうか?
第二次世界大戦の敗戦以降、我々はこの国を“一回倒産したダメな国”という意識から抜けだすことがなかった。「負け犬」として、戦争の事はもう触れて欲しくないし、経済成長をアイデンティティの立脚点にすることもない。
国民の実感としては、この国は「新日本株式会社」であって、「大日本帝国商店」として、天皇がオーナー社長を努めていた時代とは別物。すでに陛下は“名誉会長”に退いて、アメリカの資本を入れて民主国家という名の“株式会社”に直ったのだ、と言った所ではないか。
どこかで“国際政治に背を向けて作ったあぶく銭”という意識が強く、預金額でプライドを支えるほどイケ図々しくもなれない。ただ俯き、膨れた財布を赤面しながら押さえている気の弱い成金こそが、我々のセルフイメージである。
ただ、一部のお局重役が生き残り、「大日本帝国商店」の遺産をセコく残そうとしたために、国旗、国歌という旧態依然のイコンが生き残り、個人商店時代の“看板”だけが残ってしまっているのである。
中国も第二次世界大戦における「債権者」であるわけだが、当時の主権者の暴走で戦争に引きずり込まれた日本国民だって「債権者」なのだ。
天安門事件以降開放政策に走った中国にすれば、上海に進出してくる日本企業はすべてその“看板”を背負った尖兵であり、“今ココにある戦争”としての経済戦で、再び「南京大虐殺」を再演しようとしている敵と捉えて、二度とそこに満州国を築かせまいという想いがある。言い分としては過敏にすぎるし、病的ですらある。
今回の“抗日運動”は、天安門以降の民衆の不満をガス抜きさせるための、共産党政府のプロパガンダ教育の産物でしかないと、日本のマスコミは言う。事実としてはその通りかもしれない。
だが、「日本新株式会社」は、そのファナティックな言い分に抵抗する権利はあるのだろうか? 「看板」はきっちり残したくせに、中身は勝手にリニューアルしたつもりになっていた、戦後日本60年の“独りよがり”が今批判されているのではないのか?
ならば、居丈高に靖国参拝の正当性を唱えるのもナンセンスだし、憲法改正も空論でしかない。
まず、国旗も国名も国家も全部きちんと真っ白にリニューアルして、そこから「新会社」の新しい看板を、そして国家の定款たる憲法の書き直しに向かうべきなのだ。
かつての大日本帝国”との連続性のなさをはっきり表明して、国としてのCIをオススメしたい。
第一、 日本のやり口を罵る現中国共産党だって、天安門の学生虐殺の保障も、自由経済解放政策と共産主義の擦り合わせも何もやっていないのだよ。いわば、日本と中国の喧嘩は、宿題を忘れたダメ小学生同士の口喧嘩に過ぎない。
なら、先に動いた方の勝ちだぞ、そう言う喧嘩は。
リニューアルすれば、全部チャラとは言わないが、少なくとも立ち位置は明快になるはずだと思う。
そもそも堀江氏が、短期間に資金を作って勝ち組にシフトしたのも、「オンジエッジ」という自社の“看板”を、悪名高い光通信の出資で派手に名前を売った「ライブドア」にしれっとすり替えた、東洋大魔術団みたいな手管が勝因でしょ。
要は、中身のないものほど、“看板”が大事なんですよ。中身のないモノはね(笑)