Hideto Ida's Blog 〜 時に放浪、日々朦朧 〜

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04/17
 All Aboutで書いた「誰が格闘技を殺すのか?」シリーズ第一弾「ゴング格闘技休刊の真相」は、ネタのタイムリーさもあって、概ね好評で迎えられた模様。ただ、その後も某誌の若手編集者が懲戒解雇になり、何故かほとんどタイムラグも無しにライバル誌の編集部員として現場に現れただの、出版系業界内部のきな臭い暗闘は相変わらず続いているらしい。正直、うんざりを通り越して、脳が弛緩してしまいそうな話ばかり。いつまでも読者を置き去りにしてバカな事をやってなさいなって感じ。

 いずれにせよ、All Aboutで色々業界のシビアな事情を書くようになってから、ただでさえ少なかった業界系の人脈がさらに薄くなったのは間違えない。何か気に食わない事でもあるのか、あるいは君子危うきに近寄らずとご用心なさっておられるのか、会場で顔合わせても、挨拶もしてくれなくなった記者連中の多いこと。アンタ達の事なんか書いた事無いでしょうに、誰に気を使ってるのかね? ホント。このシリーズを続けていくと、多分将来的に我が葬式への業界からの列席者はゼロになりそうな公算。まあ、個人的には願ったり敵ったり、だが。口さがない井戸端会議の陰口の中に、重要なソースが混じっているのも多々ある話で、その入手経路が断たれるのは多少頭の痛い問題ではある。(といいつつ、今月もまた物議を醸しそうなネタを準備しているのだけれど、みなさま、お察しの通りまたもや難航中)。

 改めて思うのは、選手の事も、試合の事も一切出て来ない格闘技出版の裏事情を延々書くというこの超イレギュラーな原稿や、危険球満載の「狂犬ブラザース」シリーズを平気で載せていてくれるAll Aboutって、底抜けに間口広いなぁと…もしかしたらホントに社名通り、「全面的にアバウト」なだけなのかもしれないけど(笑)。



 まあ会社自体の性質はともかく、間違えなく“茫洋”とした人格が売りなのが、スポーツ担当の社員プロデューサーNくんだ。

 前任のK嬢は元雑誌編集者だったこともあって、毎回〆切りで一杯一杯の僕なんかにも早めに追い込みをかけてくれ、原稿取りを確実にこなしていく優秀な人材だった。毎月頭にはこっちの持ちネタを早めに聞き出して、執筆のスケジュール割りをしてくれたり、取材の必要な時には手配もしてくれたりで、なにかと秘書のように先回りをして面倒を見てくれる。だから、担当ライターにも受けがよく、社内異動でスポーツチャンネルを離れる時には、ライター有志による送別会が開かれるほどの人気者だった。
 
 ここで割を食ったのが、某教育系出版社を経て入社したばかりの後任のNくん。大久保の焼き鳥屋で賑々しく開催されたその送別会で初登場し、着任の挨拶とあいなったのだが、いきなり「僕わぁ、燃えるような原稿をみなさんに書いてもらいたいですぅ」と独特の口調で切り出し、列席したライター陣を悶絶させたのであった。この日集まったスポーツライター諸兄の中には、野球担当のコモエスタ坂本さんやJリーグ担当(当時)の小野寺俊明さんら、それぞれの業界で育まれた、批評眼の鋭い人生の達人が揃っておられたから(+無駄に口先だけ極悪に老成したワタクシ)、さあ大変。こんなオイシい奴を見逃す訳が無い。五分と経たないうちに、“言葉の暴力”としか言い様の無いキョーレツな罵詈讒謗の十字砲火が、Nくんめがけて浴びせかけられたのであった(笑)。

 そもそも先の発言からも判る通り、Nくんは物言いが大ざっぱで、見るからにポヤッっとした感じがする20代後半の青年。一方、奇しくも三人揃って昭和39年(辰年)生まれと言う我々中年ドラゴン軍団からすれば、「コイツでKさんの後釜が勤まるんかいな」的な懐疑感があった。そりゃ、トグロを巻くなと言う方がおかしいし、火を吐くなと言われても無理。特に事前謀議などはなかったのだが、それぞれが“ここは一発発破をかけてやろう”などという、一方的でおせっかいな“教育的措置”を同時多発させた結果、Nくんには気の毒なほどの“説教の嵐”になってしまったのであった。(まあ、正直なところを言えば、我々のアイドル的存在であったKさんが、結婚と同時に異動というなんともウラヤマ悲しい事態で去って行くと聞いて、中年三人の孤児のごとき心情がNくんへの八つ当たりに変化したのではないか、というような気もするのだが(笑)。)



 そんな「悪夢の洗礼劇」が幕開けとなって、Nくんともそろそろ一年半近い付き合いになる。

 その間のやりとりで段々判って来た事だが、Kさんが管理やスケジューリングに長けた“秘書タイプ”であったなら、Nくんは書き手とのメンタルな付き合いを優先し、読み手視線で中身に関わる事で持ち味を発揮するタイプであった。〆切り管理のメールより、原稿を書き終わった後の感想文のメールのほうがコマメ。単行本の編集でもすれば、面白い仕事をするだろうなと思える部分がある。当初は、格闘技専業の僕にプロレスラー橋本真也追悼の原稿を書かせようとしたり、ちょっとばかし視点がずれた企画を持って来て頭を抱えさせてくれたが、慣れてくるとそれ自体愛嬌として感じられて、微笑ましくなってくるからマジックである(笑)。

 そもそも初対面であれだけ虐められたと言うのに、まったく恨みに感じている気配も見せず、また一生懸命考えたはずの企画をボロクソに言われて蹴飛ばされても、まるで堪えた気配がない。また表情一つ変えずに、同じように寄ってくる。いじめっ子は案外こういうタイプに弱いのである。

 実際、打たれ強いし、我慢強い。若干飲み込みや要領は悪いのかもしれないが、その分十倍の誠意で相手に対していく姿勢は、手放しに偉い。(格闘技でもこういう子は、後に伸びたりする。)実際僕が今年初っぱなから二ヶ月ぶっ倒れたときも、コンテンツが年初から空っぽになるのを顧みず、管理部門を口説いて休ませてくれようとしたりした。業績最優先の職業人として、本当はよろしくない態度なのかもしれないが、人としては正しい。そうやって自分の評価を顧みず、ライターを守ろうとする態度を見せられると、こっちも頑張るしかなくなってしまう。
 
 「誰がーー」のシリーズも当初、そこまで身体を張ったものにするかどうか、かなり悩んだのだ。業界批判ものは特に取材が難しい。既に一本目に準備していたネタをペンディングにせざるを得ない状況に追い込まれたりしていたので、のっけからかなり難航したのである。だが、二ヶ月のブランクを笑って許してくれたNくんの気遣いを思うと、ここは意地でも豪速球を投げてみせようという気にさせられて、あそこまで踏み込んだ内容で書くことにしたのである。

 実直すぎて言う事に飾りがなく、若干ユルめでもあるので非常に誤解され易いが、Nくん、結構いい奴なのである。


 そのNくんと久しぶりに顔を合わせて、昼飯でも食いながら先のプランを練ろうと約束していたのが、週明けの今日の話。ところが、コ奴当日の朝の九時になってから、いきなり携帯にこんな留守電を残してキャンセルしてきやがったのである。

「もしもしぃ、N ですぅ。実は今日のお食事会(マンツーマンの飯にこういうネーミングをしてくるのが、彼らしい)なんですがぁ…ちょっと昨日の日曜日にー、サッカーの試合に出ていて腰を痛めてしまいぃー、今日は会社もお休みしてしまいましたぁー。また今度と言うことで、よろしくおねがいしますぅーー」

 適当に風邪引いたとか言えばイイのに、なんでそんな面白い事情を自分でバラすかなあ(笑)。
 留守電を聞いて吹き出したのは、生まれて初めてだ。
 
 この爆笑に免じて許す。
 お大事に。

03/30
例によって、月末の狸@カチカチ山と化す。

調子に乗って穴を掘りすぎたらしい。落盤事故続出。
毎月毎月なんでこうなる?
ひたすら掘った穴を埋めて、浅めの溝ぐらいに修正して行くのに苦労する。

それにしてもホント、ロクでもない業界。
そしてロクでもない俺。


夕刻、息抜きに近所の八百屋に行ったら、週末ゴリラサイズの人と闘う予定のパンク格闘家と出くわす。

「買い物ですか」
「ここ、安くていいですよね」
「あ、納豆三パックで50円って抜群だよね。粒もでかいし」
「…」
「じゃ、会場でまた」

ウソでも体調とか聞けよ>俺。


07/11
すっかり7月の第一週を棒に振った。
湿気退治にかけ続けていたクーラーが悪かったらしい。

とにかく頭痛がひどい。一時間と起きていられない状態が続き、食事とメールチェック以外はずっと横になって、たまにTVを見るぐらい。集中力が湧かないのでロクに本も読めず、ひたすら眠りに眠った。
あまりに気の早い夏風邪の洗礼。

しかも、ここ数年風邪の治りがひどく悪い。

昔はニンニクを食いまくり、酒を飲んで、厚い布団と厚着にくるまって強引に発汗ーーという体力任せの無茶苦茶な手法で、ワンナイト完治みたいなことをよくやった。多分医療的根拠は多分皆無、医者が聞いたら青筋を立てそうな手法だったが、それで治ってしまっていたのだから、若い時の体力というのは恐ろしいものだ。

すっかりそんな無茶も出来なくなって、今は風邪薬を飲んで寝るだけ。トシなのかなあ…とか落ち込んでみたりもするのだが、ダメな時はムリをしないに限ると腹を括ってしまえるのは、逆にその年の功だったりもする。




思うに「時間」というものは、可能性を奪って行く残酷な魔物でもあり、同時に救いでもあるのではないだろうか。時の経過とともに、人は着実に「可能性」を失って行く。これだけは、全ての人に平等な条件である。“幾らでも好きなようにつかみ取り”で山盛りにされていた未来は、砂時計のように暫減し、どんどん選択肢は消えて行く。

その一方で、「俺以外の何ものでもない」という要素だけが、波に洗われた割れガラスみたいに、すっかり角を無くして砂浜に顔を出すのも事実。若い時には、どうやっても見つけることができなかった「唯一の選択肢」が、そんな風に顔を出す。

まだそれが「確信」とまで言い切れる、確固たるものかどうかは断言しかねるが、さすがに血の巡りの悪い僕でも迷わずに済むぐらい選択肢が減ってみると、他の消えていった選択肢ってのは、自分にそぐわなかったんだなとわかる。残るべきものが手元に残ったのだ、と。

可能性が消えて行くのをボンヤリ眺めた時間の分、「俺には関係ないもの」を見定める事が出来るようになった。

要は、その分見切りが早くなったということ。

「コレは俺に関係ある」「コレは関わらなくてもいい」
単純な二分法の積み重ねが、今の僕の判断の基準になってる。

その意味では、「老いた」ということが確実に自分の舵になっている。
無論その分波を押し渡る推進力は弱くなっているのだが、航行マイルに変換すれば、決して若い時期に劣るとも思わない。

結局、人生はOne by one。失うものがあれば、獲るものがある。おつりも、不足もなし。最終的には何事にも帳尻があうのが、生きるということなのかもしれない。

06/22
↑誤字ではない。
“正義”という曖昧で、気分任せの価値観の、解釈法についての話。

最近は特に、物事に短絡的に白黒を付けたがる人間が多い気がする。
格闘技という、時間限定でとっとと白黒の出る、結果の明快な(はず)の闘争が、見せ物として流行っているのも、そのせいかもしれない。

ただ、本当に明快である事、きちんと筋の通った結論を求めているかと言えば、案外そうでもない。実際にその白黒を付ける方法論は、その時の気分任せで曖昧だったりする。大声で押し切ったり、脅しをかけたりで、見た目の「白星」を取る事に執心する「正義」のなんと多い事か。権力には沈黙を貫くくせに、権力の無い人間には、声高で強硬だったりするケースもご同様。判定の一番肝心な所でグレーゾーンに足を突っ込みながら、形ばかりの「判決」を下して、見せかけの安心を買おうとする。

結局「自分の正義」を他人に押し付けないと落ち着かないだけで、「真実」などどうでもいいのかもしれない。早く、見せかけ上すぱっとしている事、自分の言い分が「間違いでない」という証明をインスタントに欲しがっているだけなのだ。

また局所的な“正義”を貫こうとする事で、大局に成し遂げられようとしていた“理想”が押しつぶされたり、逆に大の虫を生かすために、小の虫が殺されるような事態が起きたり。宗教戦争の例を引くまでもなく、結局「正義」ってのは陣取り合戦で勝利した人間へのご褒美でしかないのか? という気がしてくる。

かように正義を巡る問題は、常にあさましい人間のエゴの押し付け合いに終始する傾向がある。

人と人が平等だというなら、その欲望も等価だ。一人一人にそれぞれの立場があり、守らなければならない価値も多種多様。

我慢強く条件をすりあわせ、歩み寄れる余地を探す事以外に、対立の解決法などない。常にどんな局面でオールマイティに『正しい事』など、この世には所詮あり得ない。

だが、「正義の人」は常に性急だ。声高に「自分の正義」を言い立て、その「正義」の名の下にオール・オア・ナッシングの結論を要求する。そして、頭に血が上った勢いで、「俺には三分しか無い。お前悪い、だから殺す」でスペシウム光線発射。

自らが主張する事が「正しい」と思えるなら、なぜ結論を急ごうとするのか? 瞬間の正義感で、「自分にとっての悪人」にマシンガンを乱射するような事が、彼の正義には合致するのだろうか?

「性急な正義の味方」は、何がしたいのだろう? 
僕自身も、気が短いというか我慢が無いほうなので、自分自身への問いとしても問題提起したい。

証拠が出て来ないから、許せとは言わない。
しかし、相手の言い分を完全無視するのが正義だと言われたら、ちょっとその正義に疑問を突きつけたくもなるではないか?

スピーディーな冤罪より、時間をかけた真実追求。
スローがいいのは料理だけじゃないはず。

ヤミクモに多数決を言うわけではないが、説得力の薄い「正義」を行使しようとする人間は、いつかその「正義」を支えるためにイカサマを持ち出さなければならなくなる。

「正義」とは結局、理の首尾一貫性であり、その理屈でどれだけ多くの人の賛同を得られるかで生まれる。一人の人間の声の大きさや、権力の都合によって生まれる「正義」などあってはいけない。

そして、多くの人間の理解を得るためには、自分が争ってる相手の状況や気持ちにも配慮して、ゆっくり着地点を見出すべきである。もっと話し合いを、もっときちんとした真相究明を。でなければ、誰も報われない。

「俺の気持ちは誰にも判らない。悪人で結構」と捨て台詞することも、「お前は所詮猾いやつ」と決めつけて印象だけで相手を糾弾することも、結局短気と言う点ではそっくりだ。

そんな「短気」に押しつぶされようとしている「何か」は、そこで息の根を止められてしまっていいほど、無価値なものではないはず。

僕はその事を思って眠れないのだよ、兄弟。


06/17
若林様

BOUTREVIEW井田です。
先日は、プロ柔術関西の会場でお世話になりました。

BLOGの方拝見しました。
青木選手の記事の件、本当に軽卒な記述をしてしまい申し訳ありません。網膜裂孔が安静にしていれば治る病気だというのは知っていたのですが、青木選手の場合、一ヶ月弱で治る程度の物であるとは認識しておりませんでした。マイクアピールを聞いた段階で「ああ、じゃあ当面柔術をやっていくんだな」と勝手に思い込んでしまって、あんな記事を書いてしまった次第です。

文中、中井さんとの対比を書いた事で、「じゃあ青木選手は修斗には永久に上がれないんだ」と勘違いして取ってしまった読者も居るようで、その点でも配慮不足でしたし、ご指摘の通り、青木選手に目の件をあの場で聞く事をすれば4日後のライセンス取得とちぐはぐになるような記事にならずに済んだのにと、今非常に反省しております。

ご指摘の通り、記事は、受け取り様によって選手にネガティブなイメージを与えてしまうものであり、もっともっと慎重に取材をするべきであると、自分でも判っていたはずなのですが。

今考えると、最近プロイベントの取材があまり楽しくないなと感じていまして、そこに、あの大会全体がいい感じで進行していていて、自分自身の柔術観を修正しなければいけないな、ということを取材中ずっと考えておりました。正直、あまり楽しく感じたので、少し浮かれていたのですね。浮かれすぎて、「青木選手が早川選手に挑戦でシーンを盛り上げてくれるなら、これは派手に書かなきゃ」みたいなあざとい考えがありました。浮かれすぎた末に、逆に選手に迷惑をかける結果になり、猛省至極です。もっと慎重に取材して記事を書くよう、心がけます。

青木選手、若林さん、パレストラの皆様、その他関係者の皆様には本当にご迷惑をおかけしてしまったと思います。
申し訳ありませんでした。

BLOGで書いておられることも、先輩としてもっとちゃんと勉強して頑張れよと言う鞭撻を頂いたと思っています。

まだまだ勉強不足ゆえ、他にもいろいろ間違いを犯しているかもしれませんが、またお気づきの点あれば、今後ともよろしくご指導ください。

BOUTREVIEW井田英登


(レポ&写真) [プロ柔術関西] 6.11 大阪 (2):青木、早川に対戦要求