■ メルマガの連載を続けながら気付いたこと
さて、この連載もこんどこそ最終回となるはずだったのだが、高田延彦ではないが、若干“積み残した問題”が発生してきたので、「もう一丁」お付き合いを頂くことにした。
実際、こうなってしまうと、どこまで続くか判らないという気もしてくるのだが、時事の問題を取り込みながら、一回一回の量を少しコンパクトにして、ショットでお読み頂いても社説的に楽しんでいただけるものとして方向転換して行くことになるかもしれない。既に、EXpressには「Draw the Additional Line」というコーナーがあり、住み分けが難しい部分もあると思うが、こちらは基本的に僕以外のライターさんに登場いただいて、多角的に「補助線」のありようを披露する場所として機能させることにして、僕のこの連載は、一種ばうれびの編集長としての僕の視点と日常の思考をちりばめた形で、もう少し砕けた形での意見や考察をお聞きいただく場所になるだろうと思う。
こうして連載の性質が変わっていく過程でも、格闘技界にはいろいろなことがあった。たとえば、五味×ルミナの修斗ウェルター級タイトルマッチや、リングスの活動休止問題、大みそかの猪木ボンバイエ、(そして我々ばうれびローカルでもサーバーのダウンによって年末の一番の掻き入れ時に活動停止を余儀なくされた)など、処々の問題が勃発するたびに、タイムリーに対応していかざるを得なかったこともあり、決してスムーズな進行にはならなかったこの連載だが、逆に時事を取り込んでいきながら、リアルな問題としてテーマを深化させていけるというのは、メールマガジンという縛りのない媒体が舞台ならではだろう。
実際、こうした一連のイベントを取材・報道していくにあたって、僕がこの連載の中で提唱してきた「ショー/競技」の座標軸は、格闘技イベント乱立のこの時代にあって、極めて有効な座標軸になるという意を強くした。(ただしサーバーダウンというとんでもないアクシデントに対しては、理屈などなんの役にも立たないという事を実感させられたりもしたのだが(笑))したがって、この問題をもっとじっくり掘り下げていきたいと考えている。気長にお付き合い頂ければ幸いである。
さて、前号でお伝えしたUFC 35の取材を終えて、僕は日本に帰ってきた。諸事情で、ライター/カメラマンとして専属的に活動していた某誌での記事掲載ができなくなり、この業界の人間関係の複雑さにかなり腐っていたのだが、まあ嘆いていても仕方がない。EXpress最新号の発刊が大幅に遅れたのは、ひとえにこの問題が影響しているのだが、とりあえず今回は事情は伏せさせていた
だこう。(いずれ、遠い未来、何らかの形でお話することもあるかもしれないが、今はそのつもりはない。)
■ジャネット・ジャクソンの苦闘
ともあれ日々は続いていく。
僕が凹んでいるらしいと聞いた某氏の御厚意で、週末に東京ドームで行われたジャネット・ジャクソンのコンサートに招待された。僕も結構な音楽ファンを自認していて、好きが高じて去年はレコードのライナーノートを書く仕事まで頂いたぐらいなのだが、正直いって、ここ数年は格闘技の取材に追われるばかりで、東京ドームにしても、コンサートとして見に来るのは数年前のローリング・ストーンズの来日公演が最後だった。格闘技イベントの取材で訪れるのとは全く違う空間設定、客層に少し戸惑いながら、客席に足を踏み入れた僕は、逆にこの空間の持つ特異性に気が付かざるをえなかった。
ジャネット・ジャクソンといえば、かのスーパースター、マイケル・ジャクソンの実妹であり、ポップ業界では10年間トップを走り続けてきた超メジャーアーチストでもある。特にクールなリズムに支えられたダンスチューンが売りで、僕も会場に入った段階では、6万人が踊り狂うダンスフロア的な展開を予想していた。
ところが、実際コンサートが始まってみると、この予想は大きく裏切られたのである。
もちろんパフォーマンスの内容が悪かった訳ではない。最新ヒットの「Song for you」から、彼女の出世作になった「Rhythm Nation」に至るまで、ヒットソングてんこ盛りで、ダンスの演出もダイナミックで、ライトショー、映像効果共に多彩すぎるほど多彩。途中何回もジャネットは衣装を換え、時に可憐、時にハードに、時に不思議の国のアリス風の縫いぐるみショーまで披露したう
えに、最後には客席から観客を引っ張り上げて、SM風の拘束台に彼を縛り上げ、そこにジャネットが妖艶にからんでいくという、過剰なまでのサービスが展開した。ショーとしてはこれでもかこれでもかと言わんばかりのアイディアのつるべ打ちであり、ファン達の歓声も途切れなかった。
ただ、僕個人の感想を言わせてもらえば、東京ドームはあくまで寒かった。なぜなら客席を埋め尽くした客のほとんどが踊っていなかったからなのである。
けっして観客の反応が悪かった訳ではない。客席からはジャネットの一挙動一投足に歓声が飛び、曲に反応してペンライトが振られてもいた。コンサートすべてが終了したときの観客の表情も非常に満足げで、イベントとしての“顧客満足度”は決して悪いものではなかったように思う。
しかし、・・・しかしなのだ。
先にも書いた通り、ジャネットというアーチストの音楽は本来ダンスチューン中心のR&Bミュージックである。結果としてジャネットは“東京ドームを踊らす”までには至らなかった。同じコンサートが、横浜アリーナや東京ベイNKホール程度の中バコで展開されていたら全く別の結果が出ていたような気がしてならない。
■「拡散する場」との闘い
格闘技媒体で音楽のことをだらだらと書き続けるのも場違いなので、結論から先にはっきり書いてしまおう。
このコンサートは、ジャネット本来のアーチスト性に沿ったコンサートではなかったのではないかと僕は考えている。曲目にしてもバラエティがありすぎ、演出にしてもTOO MUCH。一言で言えば、「もてなしが良すぎる」のだ。一言で言うなら“キャリアの総集編”。通常のコンサートのように、アーチストが折々の自分を表現する場になっていないのではないか、と。逆にその事でコンサート自体は総花的カタログ的に堕し、薄っぺらなコンサートになってしまっていた気がするのだ。
だが、東京ドームというのはそういう場所なのだ。
その時僕の頭に浮かんだのは、“拡散する場”というキーワードだった。そのアーチストの知名度が高く、ビッグセールスを上げていればいるほど、その購買層は多岐に広がっていく。本来、音楽コアなファンや、ジャネットのアーチスト的な背景、音楽性を理解したファンだけではなく、一曲のシングルヒット、1つの外的話題(例えば映画「ナッティプロフェッサー2」でエディ・マ
ーフィーと共演したというようなトピックス)、あるいはもっと極端な例であれば“東京ドームでコンサートがある”と言う話題性だけで、このコンサートに足を運ぶ。
要するに“薄い”ファンが大量に発生する場ということなのだ。
しかも、東京ドームで行われるイベントのチケットは安いわけではない。そのうえ、音響や視覚的要素(要するに舞台から客席があまりにも遠い)などは最悪である。そんな舞台で、本来“予習不足”の一見の客にも何らかの満足を与え、笑顔で帰路につかせなければならない。結果として舞台装置は派手になり、演目はすべての観客に向けて拡散していく。ドームの舞台に立ったアクター/アクトレスは「アート」の部分は二の次にしてでも、とにかくイベントとしてにぎやかな、お祭り騒ぎである事だけが突出せざるをえなくなるのである。
より満漢全席的、総華的な構成。
深く吟味された内容ではなく、瞬間瞬間の刺激で、それなりのインパクトが残せる構成へと。
これがドームイベントの正体なのである。
ならば、我々の棲む格闘技の領域でも、この法則はそのまま当てはまることになりはしないだろうか。
水道橋へと向かう帰り道、僕の脳裏に浮かんだのは、高田延彦とジェロム・レ・バンナの顔だった。
※BoutReview EXpress [Weekly] Vol. 011 (Sat, 26 Jan. 2002)より