07/03
関連取材が想い通りに進まなかったこともあり、今月分のオールアバウトのコラムは、いくつか考えていたネタを〆切り二日前にすっぱり放棄。
苦しいときの矢作大明神に泣きついて、なんとか30日のタイムスタンプ内に12Pを滑り込ませることができた。対談の原稿起こしは、24時間徹夜状態。さらに、いざアップロードと言う段階でトンでもないトラブルもあり、生きた心地がしなかった。結局細かい直しをしながら、さらに朝まで作業を続け、翌一日は日がな昏睡状態で過ごす。
やっと目の前の風景に色がつき、酒も恋しくなって来たのでベッドから這い出したのは2日のこと。毎月こんなことをやってたら、生命線が何本あっても足らない。
CSのフジ721では夜の10時から13時間ぶっとおしで「Live8」の生中継。“21世紀版のLive Aid”ということで、世界9会場からトップクラスのアーティストのライブがノンストップで中継されてくる。ハードディスクレコーダーに録画しつつ、ブクブクに太ってアイドル時代の面影もないサイモン・ル・ボンの老残や、逆に貫禄と生命力を増したアニー・レノックス、20年時間が止まってるブライアン・アダムス、サマーズ&コープランド抜きでしれっとPoliceナンバーを完コピしたSting…etc Live Aid世代のスーパースターの現在を見て、酒の肴にする。
若手ではクレイグ・デイビッドの生での意外な技量や、逆に情けないまでの三流さを露呈してしまったAudioSlaveのクリス・コーネル(Come back ザック !)なんかが印象に残った。
それにしても日本会場のラインナップはなんじゃいというメンバーで、他の会場との温度差がひどい。ドリカムにDEFTEC、RIZEって誰がセレクトしたんだか(放送もばっさりカットを食ってたし)。単なるアリバイ証明程度の出演なら、やんない方がマシでしょ。俺がプロデューサーなら、清志郎、ソウルフラワー、Rhymsterあたりを並べるね(個人的にはHeatwaveも入れたい)。全世界中継で、あまり恥ずかしいことはしないで欲しい。
ライブの傍らウェブサイトをざっと見て行くと、前回のLive Aidと違って直接収益金を飢餓救済募金として寄付するのが目的ではないことが判ってくる。
7月6〜8にスコットランドで開催される先進八カ国首脳会議(G8サミット)に対して、途上国支援を最重要課題にするようプッシュするキャンペーンらしい。今回は募金ではなく、ネット署名と全世界TV中継による政治的アクションを目指しているというわけ。
Live8と連動してネット署名部分を担当、同時に「ホワイトバンド」というキャンペーンを展開している「ほっとけない世界のまずしさ」というサイトがある。
ライブ中継中ウィル・スミスがアピールしてた「三秒に一人アフリカで子供が死んでいる」という台詞とクラップフィンガー(指パッチン)のパフォーマンスは、ココのキャンペーンに由来するらしい。サイトでは、ブラッド・ピットや中田英寿ら各界の有名人が、その指パッチンで出演するスポット映像も公開している。
この運動は、世界規模のNGOが連携して、アフリカの飢餓の現状を「募金で済ませるな。政治アクションとして一人一人がアピールしよう」という目的のキャンペーンを張っているらしい。運動のシンボルとなる白いリストバンド(一本300円)を売って、その収益をキャンペーン活動の広報資金、NGO活動の基金に充てるというもの。
発想はすばらしいと思う。
「募金」なんてものは、今ポケットにある小銭を募金箱に投じる事で、社会の大きな矛盾に目をつぶる“免罪符買い”で終わってしまうもので、実際大きく社会を変革するための動きにはなり得ない、というのが僕の中学時代からの主張。だから募金の類いには一切応じないで来た。
むしろ募金に回す金と時間をもっと直接的な政治アクションに反映させるべきだという声が出て来たのは、我が意を得たりなんだが。
でも、なんかウェブサイトを見て行く限りでは、NGOにありがちな「崇高な使命感」が先に立っちゃって、具体的に銭を集めて何をどうやるのか、一番大事な所が見えない。
ホントはFAQにちょろっと書いてはあるんだけど。こんな階層の端っこまで行かないと、資金回しの構造が見えないのはダメっぽい。こういうプロジェクトは、まず銭の回しをどうやるかが透明でないと一般人はついて来ないはず。
もっとあざとく大阪商人バリに「大事な事みんなに知ってもらうのにあっちゃこっちゃでCMするさかい、ぎょーさん銭が要るんや。あんたかて、知らん間にアフリカのちっちゃい子が死んだら夢見が悪いやろ? 賢い子から順番に財布開けてそこに並びなはれ」みたいな腹を括ったアピールがあってもいいんじゃないか?
しかし、この事実↓は初耳。
>20年前のライブエイドはアフリカ救済を訴え、280億円の募金を集めて
>寄付しました。
>よくやった、とそのときは思ったそうですが、後に、280億円はアフリカ
>が先進諸国に返済している債務額の一週間分だ、 と知ったとき主催者
>は、愕然としたそうです。
(FAQ「お金持ちの有名人が出演して、貧困問題を訴えるというのは、矛盾していませんか?」より)
たしかに、募金じゃ世界は変わらんな。
ボブ頑張れ。とりあえず、白いリストバンドは買うよ。
P.S.
ブームタウンラッツの再結成は、枯れてて案外よかった。
十五年前、Vibrastoneのライム(♪ボブ・ゲルドフのレコード売れない〜)で大笑いした事は謝る(笑)。
03/17
このところ遅ればせながらファンキー物のオルガンジャズを発掘中。今日は、近所の中古屋で大量にグルーブ・マーチャントレーベルの出物を発見して、小躍りしてしまった。
ジミー・マクグリフの「Fly Dude」とか、リチャード・グルーブ・ホルムズと組んだ「GIANTS OF ORGAN IN CONCERT」とかを総ざらいしてくる。まあこの辺は評価も定まってて、グルーヴィさ満点。ただMM&W(メデスキー、マーチン&ウッド)とかJTQ(ジェイムズ・テイラー・クァルテット)みたいな今時のオルガンファンクのほうが、ピンと来る。音も張り切って歪ませ過ぎちゃうの? そのオルガン風邪ひき?みたいな(笑)
むしろ一緒に買った同レーベルのラモン・モリスの「スィート・シスター・ファンク」がすばらしかった。これは、事前情報なしの衝動買いなんだけど。この人、70年代後半のフュージョンに押さて低迷時代のジャズメッセンジャーズのテナーを務めた人だというんだけど、JM時代のレコードは聞いた事がない。これが唯一のソロ名義作品らしく、普通ならハズレの予感ありありの代物。ところが、これが総毛立つほどよろしい。(髪の毛ないですけど(笑))
いかにもJM出身らしいキメキメの二管ユニゾンのハードバップ風な出だしかと思ったら、うねうねのソロフレーズを連発して、みるみるスケベなファンキー方面へ引きずり込んでくれる。表題曲の「スィート・シスター・ファンク」なんかは、ワウを効かせたギターのカッティングがお洒落な、ちょっと70年代ののハードなブラックムービーのサントラにでもありそうな曲で、ありもしない追跡シーンとかが脳裏に浮かぶ。オルガンも脇に徹しながら、主張する所はツボにはまりまくってていいし、ベースのウネリが凄い。全体になんか喉を焼く酒が欲しくなるような、濃い〜一枚。
つーか、こんなシブいレーベルの発掘を地道にやってる、P-VINEってやっぱりエラい会社だなあ。
ブルース一辺倒だった時代から、ちょこちょこ買わせてもらってるけど、ホント黒筋のいいレコードを出しまくってるのね。もう信念を通り越して、“いい音楽を死なせないぞ”みたいな執念を感じる。
03/07
「負け組」「負け犬」といった言葉が流行るのも、結局、現代が競争社会であるからに他ならない。格闘技と言う妥協の無いスポーツが、一般からの希求度を増しているのも、日々人々が社会と言う大きな競技場で「闘っている」という実感を持っているからではないか。
これまでだって弱肉強食の社会構造は厳然としてあったが、その構造は逆に階級や差別という制度で「階位」を設けながら、全ての人に何らかの居場所を与え、「組織内の身内」ということで取り込まれた、“居場所ある社会”と言い換える事も出来るヌルさやユルさが残ったものだった。
だが、個人の人権が過去最高に認められるようになった現代は、生きる上での権利も責任も全て「個人持ち」となった社会でもある。成功するのも、失敗するのにも個人が個人の力量で道を切り開かねばならず、敗者/弱者に対するセーフティネットもほとんどない。
どういう事情があろうとも、資本という大きな一つの「ルール」に従って、“人の生き様に明快に白黒を付けてしまう社会”という言い方ができるだろう。
「資本主義」=金を集めるというゲームであり、行動に動機も要らない。勝つ事、勝負する事が自己目的化しており、全ての価値観を金に集約して行く。
そんな構造の中では、行動に余分なモチベーションもルサンチマンも持ち合わせない堀江氏のような人間が、「勝ち組」として浮上してくる。
堀江式M&Aは、コンテンツの内容がなんであれ「資産価値」があれば買う。買って支配する。そして資本総体として肥大して行く事だけを絶対目的として、脇目もふらない。
だが彼が錬金術の持ち札として振り回す「ライブドア」を見るがいい。このサイト、ポータルサイトとしての質を言えば、まったく“使いで”のないB級品でしかない。
例えば、飯を食うのに「グルメコンシェルジェ」や「ぐるなび」を使うことはあっても、まずLIVE DOORグルメは使わない。元々、負け組として消滅しかかっていた「東京グルメ」を買って、LIVE DOORのコンテンツとして統合したわけだが、あれだけ食い意地の張ったホリエモンのサイトとしては、調査力もないし、情報としてもお寒い。旧来の「東京グルメ」時代以上に散漫な内容となっていて、単に投稿者の脈絡の無い評判記事のみ。写真も無いページがほとんどで、実証性もない。結局現場には人も金も回っていないせいだろう。コンテンツはLIVE DOORの金メッキの看板を掛けただけで、埃をかぶってしまっているのだ。
そのくせ、「店に行ったらLIVE DOORグルメで見たって宣伝してください」と来たもんだ。何から何までユーザー頼り。サイト運営の意図も、制作者の意見や見識もない。彼らがやたらBLOGにこだわるのも、結局「客が勝手に作ってくれる」コンテンツだからなのだ。
正直、そこらの個人サイトの方がまだしも、飯を食う上での指針となるし、そういう腰の据わったレポートを書く人でLIVE DOORのBLOGを使ってる人間はほとんど居ないはずだ。
これが堀江的買収の正体だと僕は思う。
コンテンツとは、その素材にこだわる思い入れや心情、個人の視点、自分がその対象になぜこだわるのか? を突き詰めていく過程で生まれるものではないか。
いわば、食事の旨い不味いの絶対評価を付ける行為ではないのである。語る対象を通して、自らの嗜好であり気持ちを語る、“自分語り”があるからこそ、文章が熱を帯び、そして読者を興奮させる。これは対象が音楽であっても、ブンガクであっても、またスポーツであっても同じ事ではないか。
真ん中に人が居て、コンテンツは成立する。
やらずぼったくりの「勝ち抜け脱線ゲーム」思想では、コンテンツは絶対育たない。
話がすっかり遠回りになったが、実はここで話題にしたいのは、ウルフルズの新作「暴れだす」という曲の話。新しいアルバム「9」で僕は聞いたのだが、シングルカットもされているので、きっと耳にした方も多いだろう。
この曲の主人公になるのは、常に自分の思いの過剰さに、世間との折り合いが上手く付けられない、ちょっと「負け組」サイドのアウトロー。多分、ロックミュージシャンとして様々な浮沈を繰り返して来たウルフルズのボーカリスト・トータス松本のストレートな心情を吐露したものではないだろうか? 僕にはどうしてもそう聞こえる。
“ああ、神様、俺は何様ですか
どうしていつもまちがうのか?
悩みは絶えず、オトナになれず
眠れぬ夜を今夜もまた
ああ、笑ってごまかす、声もむなしく
飛び出していくことも出来ないままに
もしもあのとき心にもっと余裕があれば
今までこんなに人を悲しませずに済んだ”
シンプルながら、切実で非常に深いテーマを歌っている。自分の想いが社会と合致せず、通じて行かないディスコミュニケーション状況へのもどかしさ、そしてそれに抗う事もままならない“不器用な自分”=負け犬である自分への苛立ちを語った歌詞だと思う。
これまで、松本の書く歌詞はどちらかといえば「アホで結構」と、アウトローである事、世間に馴染まない不器用さを逆に誇らしげに歌い上げる“アホアホパワー”主義に貫かれて来たと思う。それは確かに威勢はいいが、ある意味「負け犬の遠吠え」であり、一般社会に世を向けた“仲間内だけのファンタジー”でしかなかったのではないか、とも思う。
彼の中でこの作品を生み出すにあたって、どういう変化があったのかは知らないが、今回松本は、初めて「ダメな自分」「社会の歩調からこぼれ落ちた自分」を直視し、その弱さ、その辛さを直接に言葉にしたのである。
それだけなら、トム・ウェイツ的な「負け犬の繰り言」を賛美するネガティブな歌で終わってしまう所だが、その繰り言の後に続く歌詞は、そんな自己満足では終わらない、突破力をもった強い一節へと続いて行く。
“人のために出来る事があっても
人のために生きる事はできない
ああ、胸が、暴れだす、暴れだす
誰かそばにいて”
今ある自分の限界を知り尽くしながら、そのダメさの先にある自分だけの“確信”を捨てる事ができない。いい子になって、負け犬として社会に吸い込まれてしまう事の出来ない自分の魂が、「暴れだす」という言葉で救い上げられ、そして肯定される。
「誰かそばに居て」という言葉も、決して泣き言や甘えではない。
“負け犬では終われない俺を、認めてくれ”“神が否定しても、そばに居る君だけは認めてくれ”そんな、切実な祈りと希求だと僕には聞こえた。
その意味で、この歌は、今の時代に生きる僕ら「負け犬世代」が、LOSERのままで終われないぞ、という想いでシステムの軋轢に立ち向かう、心のテーマソングとなるのではないかと感じた。
個人的には「何がホリエモンじゃ、くそくらえ」って感じ。誰でも銭金に転ぶと思うなよ、って感じ(笑
その意味で聞くなら、同じアルバムの「バカサバイバー」もいい。バカ賛美シリーズではあるけれど、なんかかつての植木等やクレージーキャッツに通じるパワーがあって、“突き抜けた”感じがいい。
誰か、これ入場テーマソングにしてくれないかな?
01/25
久しぶりに山口洋の唄を聴いた。
彼はHeatwaveという硬派なロックバンドを率いる、シンガー/ギタリストなのだが、以前ベスト盤(LONG LONG WAY-1990-2001-)のライナーノートを書かせてもらって以来ずっと、ツアーや折々にライブがあるたびに声を掛けてもらっていたりするのである。
ウチのi-TuneにはHeatwaveの全曲を仕込んであるので、結構な頻度で彼の唄を聞くわけだが、生は去年の秋のバンドでのツアー以来。今の編成になってからは、Heatwave自体非常に順調なようで彼のソロを聞く機会もめっきり減ったが、数年前バンド活動を休止していた時期があって、彼はギター一本で地方を回っていた。僕も物好きに静岡のお寺でのライブとかを追っかけて行ったりしていたので、バンド以外での彼の唄の良さをよく知っている。
決して美声ではない。むしろ鼻声で、広がりで言えばむしろ籠る声。だがシャウターであるにも関わらず、声のコントロールが実に繊細で、ちゃんと言葉の意味がガツンと伝わってくる。一個一個の言葉のニュアンスを大事にした歌い方をするのだ。その辺、多分、楽譜にしようとしてもオタマジャクシに収まりきれないような微妙な表現なのではないかと思うが、そもそも楽譜なんかわかんない僕なので、うっかり言い出したもののその辺はむにゃむにゃむにゃとごまかしておく(笑。
ギタリストとしてはもう既に評価が定まっている彼だが、シンガーとしての魅力をちゃんと判っているイベンターが居たようだ。今日のライブは、山口をメインに小谷美紗子と古明地(フルミョウジと読むらしい)洋也という二人の若いシンガーを配して、アンプラグドのソロでひたすら「唄を聴かせる」というもの。だからタイトルが「唄聴」。
特に小谷美紗子はピアノ一本で腰の据わった歌を聴かせる本格派だと噂は聞いていたので、一回生で聞いてみたかったシンガー。デビュー当時、天才高校生としてかなり話題になって、たしかデビュー曲はラジオとかでかなり耳にした記憶があるのだが、実は一枚もCDは持っていない。
実際、ライブで初体験してみて、自分の不明を恥じる気になった。
「しっとりとした」というよりは「彩りのある」声。
その声が中心にあって、高低/太細のグラマラスな波の満ち引きにただ乗せられているだけで、ぐっと引き込まれる。童話的な柔らかい表現の端々に、おおっと思う大胆な言葉があって瞬間我に返るのだが、また濃密な声の波のウネリに引き込まれて、無抵抗に海中を浮遊しているような感覚に揺られる。
矢野顕子系列でもっと陰影の濃い感じのシンガーって言えばいいか…むしろピアノを弾くUA。いや、声はそんな低くないけど。バネッサ・カールトン? んー、もうちょい深い。
会場の売店に彼女のCDが無かったのが少し残念。
古明地氏の唄は、セットチェンジの間にちょっとのつもりで受けた電話が長引いて聞けなかった。これも残念。
そしてメインの山口だけは聞き逃せないので、強引に電話を片付けて会場に戻る。「今日のキーワードは、俺の気分もあって“情けない”でまとめてみました」といきなりカマして、曲は「Happiness」。
例のライナーでの軸に使った曲でもある。ストーリーのある曲を書かせたら、冴えてる時の泉谷しげるとデッドヒートを演じるであろう山口洋。その中でも、一二を争う名作だ。
都会暮らしの人間のすり切れた日常の疲労感や無力感を、あえてそれすらも生きる上での“Happiness”ではないかと包み込む、シニカルで深い情感に満ちた曲。昨今の自分に相当思い当たる部分もあり、山口の陰影の満ちたゆったりとした歌いっぷりもあって、すごく沁みた。
あえてアコースティックライブのお約束でもある“枯れ具合”を受け入れない、意地っ張り具合もこの人ならでは。ガットギター一本でもロックにしてしまう我の強さ、それでいて「スリーコードかき鳴らしの生き様俺様ロック大魔王」でもない、非常に上質な音楽性も兼ね備えている。ギターの響きのなんと色っぽい事よ。
なんでこういうシンガーをちゃんと王道として受け入れる地盤が無いかな、この国は。ディランがノーベル賞どうよ? ぐらい評価されてるなら、山口洋には野口英世賞ぐらいあげてほしい(あるのか? 国民栄誉賞とかじゃないしさ)。それぐらい評価されるべきシンガーだと思うんだけどな。
※ちなみに、このイベント『唄聴』は27日には大阪でもあるらしいので、チャンスのある人は「心斎橋CLUB QUATTRO」まで。(この際、大阪も行っちゃうか…でも前日のThe SUZUKIとの競演も捨て難いような…29は後楽園で修斗だし…ああっ(悶))
『LONG WAY FOR NOTHING』
Heatwaveの最新作。オープニングの「Still Burning」は、横四方固めで押さえ込んで、無理矢理特大カレースプーンで耳をかっぽじって、耳たぶに洗濯バサミでイヤホンを固定してでも、強制的に聞かせたい人間が数名が頭に浮かぶ名曲。ちょっと負けが込んだぐらいでしょぼくれてんなよ、ボケ!ぐらいの勢いで。