ライブドアとフジサンケイのM&A騒動を、百年後、この国の歴史教科書はどう書くのだろう?
ライブドア堀江氏のM&A手法のゲリラ性を揶揄する向きも多いようだが、早い話ゼニを媒介にした企業の喧嘩ではないか。喧嘩の勝ち負けに“品性”を問う感性は、それこそお上品に過ぎる。
確かに、堀江氏の企業買収手法は、コンテンツ自体の特性に配慮したものとはいいがたい。ネット関連企業だけに限っても、eudora然り、東京グルメ然り、したらば然り。買われたコンテンツはいずれも元々強い個性を持ったサイトでありソフトであった。しかし、彼らはライブドア傘下に入った途端牙を抜かれて、ただのポータルのオマケに成り下がっている。これは明らかにオーナーサイドの、買収後の失策に他ならない。
結局、ライブドアは「看板」を買っても、「人」は買わなかったのだろう。
正直、僕がBoutreviewを買いたいと言われても、彼には売りたくない。
Boutreviewの看板を買って、ライブドアの社員だかアルバイトだかが、このサイトを維持、発展させる事はできないと思うからだ。
Boutreviewは僕であり、井原であり、活躍するライター陣、小林 秀貴、若葉 り子、永田遼太郎、高田 敏洋、BOX-Tらが生み出す日々のレポート、そして、矢野成治、ひっとまん大場、米山真一らの写真、上村 俊信のデザイン、USAのシュウ・ヒラタ、フェルナンド・アビラ…誰一人欠いても成立しない。
過去にさかのぼれば、OBである薮本直美、横森綾、山名尚志、中村宜夫、なべ、山口龍、岩瀬俊、ぱわーほーる、石動龍、飯島 美奈子、磐田 レン、矢野祐、凱旋門パリ彦、今野夕子、仲村直、誉田哲也、慈村弓太 、高岡真子、原田容子、沢之崎薫、松本幸代、小笠原忠彦、茂木康子、上村彰、伍代柾、真砂嘉隆、ノリリン、駿之介、リハビリクラス、バーボン、がんた、堤靖彦、ばしゅ、長岡雄一郎、大塚あかね、中中中、狂乱ひつじ、若旦那、藤沢つえ、Ei-chang(万が一漏れがあったらスマン、自己申告プリーズ)といった多くの優秀なスタッフが、このサイトを成立させるために、時間と労力を提供してくれた。この全てのスタッフの人力=知力、体力、気力の総力が、Boutreviewなのである。看板は僕の独断で売る事も可能だが、中身を買い取るのは至難の技だし、そもそも誰にも譲ってやる気はない。
格闘技というニッチなジャンルに対して、情熱を注ぐスタッフの思い入れまでをM&Aする事は、いかな金満オーナーでもできまい。ソフトは人で作るものであり、その熱意を買うのでなければ、コンテンツ企業買収に意味などない。その意味で、企業が“我が社の理念に共感して出資してくれる人間にしか株は売らない”と言って非公開でツッパるのであれば、それはそれで見識ではあるし、僕も基本的に“そっち”サイドの人間でありたいと願っている。
だが、上場企業というのは、そんな個人商店とは別の発想で成立している組織である。公開市場から資金を調達し、顔の無い不特定多数のオーナーに、金融商品として株を売っている。企業価値に賭けるギャンブラーを集めて、その種銭で商売しているのである。企業本来の生産性からの収入ではなく、“期待値”をサイコロに変えて、24時間営業の鉄火博打をやっているだけの事ではないか。
Yahoo然り、ライブドア然り、楽天然り、いわゆるポータルビジネスの勝ち組というのは、IT産業への“期待値”でテラ銭をかき集め、上場の錬金術でそれを膨らませた連中である。当然、集めた金をさらに大きな賭けに投入してくる。
博打場のルールに従うのであれば、胴元が乗っ取られる事も当然。ましてフジとニッポン放送の持ち株逆転現象は、かつて内部でのお家騒動の副産物であって、よもや自分の手が真っ白だとは絶対言えないはず。たまたま賽の目を読み損なって、素っ裸にされそうになった御店の大旦那が、突然「賭博の是非」を言い出して居直るのは、カッコワルい。
日枝会長の言い分に感情移入するサイド、司馬遼太郎や山岡荘八なんかの歴史小説に日々のシノギを投影してしまうビジネスお父さん達にとって、“織田信長は素晴らしく、堀江はけしからん”という発想になるのだろうか? だとしたら、ちょっと笑える。
そもそも人の歴史はずーっと血塗られた武闘の連続で築かれて来たわけで、弱者がいれば強者が必ずそれを食おうとする。理非を問うならば、人は生存できなくなる。
まだ企業間のM&Aの方など、商法の範疇で行われている分、まともなぐらいだ。手段としてはお上品とは言えないが、筋は通っているしフェアだ。少なくとも人は殺していない。
歴史教科書で延々「人殺しの歴史」を淡々と教える一方で、非暴力を説いてきた教師たちも、そんなお父さん史観と全く同様のダブルスタンダードを抱えている。
この国のスタンダードが、憲法に謳われた中立非暴力にあるというなら、その“非暴力の歴史観”に基づいて、戦国時代の血塗られた暴力、中世の圧政、そして近代の軍国主義を、きちんと一貫して批判する視点を確立していなければならない。
「世界に誇る憲法第九条堅持」を謳う社会民主党のセンセ-方の、誰が完全非暴力史観を持っていらっしゃるのだろう?
本当に戦後日本が、これまでの血塗られた歴史を一切継承しないというなら、天皇制や軍国主義など近代に限られた経緯ではなく、ネアンデルタール人がクロマニヨン人に取って代わって以降、人類が暴力によって獲得した文化アイデンティティを全否定するぐらいの、“筋の通った”歴史観を確立すべきなのではなかったのか。
記号化した事実だけを脳に詰め込んで「この年号は試験に出ますよ。その時になって、泣くよウグイス平安京」とか言ってる教師に、非暴力を教わってもピンと来るわけがない。
そんな想像力を欠いた教育しかやって来なかったから、少年少女は教師の言っている事が判らないし、理解もしたくなくなる。そして海外から教科書の中身にケチをつけられても、それに対する理論がないので、無能な被害者面をしながら、言葉を失って立ち尽くしてしまうのだ。
思想とは、「事実をどう解釈するか」「どう意味付けるか」である。
その確固たる視点が無いために、我々日本人は“ここにこうして在る”事を揶揄されているというのに、何一つ己の正当性を主張できないのである。
中国、韓国の反日暴動も結局同じ話で、「お前ら日本人は他国を踏んづけてパワーゲームでのし上がるライオンのままなのか、草食動物のウサギちゃんに生まれ変わるのか」ーー日本はそのアイデンティティをはっきりしろと、問われているに過ぎない。それもはっきりしないまま、国連の常任理事国の“看板だけ欲しい”と言い出すのは、確かに薄気味悪い。
彼らは、戦後日本と戦前の大日本帝国が連続した国家であると考えている。だから、“持ち札”である戦争責任をフックに、現日本の経済成長を「我々の犠牲の上の繁栄」と位置づけてモノを言う。
“俺たちを踏んづけて作ったその繁栄の分け前をよこせ。そして“これからの俺たちの食い扶持を奪うな”と言っているのである。
一方、腑抜けた我々日本人の国家認識というものはどうか?
第二次世界大戦の敗戦以降、我々はこの国を“一回倒産したダメな国”という意識から抜けだすことがなかった。「負け犬」として、戦争の事はもう触れて欲しくないし、経済成長をアイデンティティの立脚点にすることもない。
国民の実感としては、この国は「新日本株式会社」であって、「大日本帝国商店」として、天皇がオーナー社長を努めていた時代とは別物。すでに陛下は“名誉会長”に退いて、アメリカの資本を入れて民主国家という名の“株式会社”に直ったのだ、と言った所ではないか。
どこかで“国際政治に背を向けて作ったあぶく銭”という意識が強く、預金額でプライドを支えるほどイケ図々しくもなれない。ただ俯き、膨れた財布を赤面しながら押さえている気の弱い成金こそが、我々のセルフイメージである。
ただ、一部のお局重役が生き残り、「大日本帝国商店」の遺産をセコく残そうとしたために、国旗、国歌という旧態依然のイコンが生き残り、個人商店時代の“看板”だけが残ってしまっているのである。
中国も第二次世界大戦における「債権者」であるわけだが、当時の主権者の暴走で戦争に引きずり込まれた日本国民だって「債権者」なのだ。
天安門事件以降開放政策に走った中国にすれば、上海に進出してくる日本企業はすべてその“看板”を背負った尖兵であり、“今ココにある戦争”としての経済戦で、再び「南京大虐殺」を再演しようとしている敵と捉えて、二度とそこに満州国を築かせまいという想いがある。言い分としては過敏にすぎるし、病的ですらある。
今回の“抗日運動”は、天安門以降の民衆の不満をガス抜きさせるための、共産党政府のプロパガンダ教育の産物でしかないと、日本のマスコミは言う。事実としてはその通りかもしれない。
だが、「日本新株式会社」は、そのファナティックな言い分に抵抗する権利はあるのだろうか? 「看板」はきっちり残したくせに、中身は勝手にリニューアルしたつもりになっていた、戦後日本60年の“独りよがり”が今批判されているのではないのか?
ならば、居丈高に靖国参拝の正当性を唱えるのもナンセンスだし、憲法改正も空論でしかない。
まず、国旗も国名も国家も全部きちんと真っ白にリニューアルして、そこから「新会社」の新しい看板を、そして国家の定款たる憲法の書き直しに向かうべきなのだ。
かつての大日本帝国”との連続性のなさをはっきり表明して、国としてのCIをオススメしたい。
第一、 日本のやり口を罵る現中国共産党だって、天安門の学生虐殺の保障も、自由経済解放政策と共産主義の擦り合わせも何もやっていないのだよ。いわば、日本と中国の喧嘩は、宿題を忘れたダメ小学生同士の口喧嘩に過ぎない。
なら、先に動いた方の勝ちだぞ、そう言う喧嘩は。
リニューアルすれば、全部チャラとは言わないが、少なくとも立ち位置は明快になるはずだと思う。
そもそも堀江氏が、短期間に資金を作って勝ち組にシフトしたのも、「オンジエッジ」という自社の“看板”を、悪名高い光通信の出資で派手に名前を売った「ライブドア」にしれっとすり替えた、東洋大魔術団みたいな手管が勝因でしょ。
要は、中身のないものほど、“看板”が大事なんですよ。中身のないモノはね(笑)