ちなみに、そのヤハ…いやY先生の書いた原稿というのをみせていただいたのだが、確かにこれはタチが悪い。僕の狂犬原稿のさらに上を行く、乱神原稿というべき代物。
あまりにとんでもないので、メールで見せていただいた物を、人力トラックバック(いわゆるコピペ)で御覧にいれよう。
【映画:「お父さんのバックドロップ」評】「レスラーよ、人生に真剣勝負だ」
僕はプロレスが嫌いだ。
全てが嘘臭くて、インチキで、薄っぺらい。
しかし、この映画には泣けるのだ…何故だろう?
中年悪役レスラーの父を持った一雄は、彼が大嫌いだ。映画の“描き方”では、母親の死に目に会えなかったという理由になっているが、本当はプロレスラーという仕事に対する蔑視を言い換えているだけだろう。
「わかってほしいやないか、お父さんはお父さんで一生懸命がんばってるって!」と宇梶剛士のお父さんレスラー牛之助は言う。
“そりゃ息子にも愛想を尽かされるさ、あんたカッコ悪いもの”と映画を見ている僕は思う。
どんなに彼がそう思っても、体を使って「一生懸命やっている事」の目的が息子には伝わらないのではダメなのだ。
大体プロレスの「一生懸命」は訳が判らない。見た目の勝ち負けはどうでもよくて、敵と味方がお互いに協力しあって“闘っている”からだ。そして、彼らが本当に闘っている相手は僕らには見えない。
作者の中島らもさんはプロレスのそうした仕組みをきちんと判った上で熱烈なプロレスファンとして、レスラーがわが子に、そして世間一般の人々に「一生懸命やってること」を理解されて、最後は“仲直り”できる物語りを書きたかったのだと思う。
牛之助は結局プロレスだけでは息子に「一生懸命やってること」を伝える事ができず、空手の世界チャンピオンとの異種格闘技戦に挑む事になってしまう。
でも僕はそのことが凄く悲しいし、泣けるのだ。
自分の信じる道をまっすぐ行くだけで、人と判りあえないのは悲しい。
プロレスは格闘技が出てきた事で、その問題にぶつかってしまった。自分の本当の姿と世間のギャップに苦しみ、何かの答えを出そうして、さらに曲がりくねった道を進んでいる。
なんだ、プロレス好きじゃん? なんて言わないでくれ。
僕はリングで悩み、いろいろなチャレンジをくり返しているプロレスラー達、いや世にあまたと溢れるしょぼくれた“お父さん”たちの「一生懸命を伝えようとする真剣勝負」を見届けたいだけだ。
プロレスなんか大嫌いさ。
どこの編集さんか知らないけど、コレに原稿料よく払いましたね。
いや、面白いは面白いんだけど、知的産業廃棄物ですぜ。
すっごい放射能出てて、触れないじゃん(笑)
絶対Y先生は、この編集者が嫌いなんだと思う。
狂犬のお前が言うなって?
…ば、ばうっ。
なんだかんだ泣き言をいいながらも、東京と言う棺桶に延々片足を突っ込み続けている僕とちがって、早々に屋台を畳んで悠々自適、晴耕雨読の生活に突入されたのが、我が“歪友”某Y先生だ。
同じライターながら、すでに東京での営業関係は一切やらなくなり半年に一本ぐらいの割り合いでぽつぽつと訪れる注文原稿をお書きになる以外、何もやらないという生活をエンジョイしておられる。地方は物価が安いのでそれで暮らせるのかしらと、呑気なことを思っていたりしたのだが、どうやら奥様の実家が裕福でらっしゃって、働く必要皆無なお立場だそうだ。
いや、羨ましい。
文士たるもの、そういう環境でもなければいい物は書けません。
お家にクラが建っている方は、書く物でも余裕がある。没も一切恐れない。
昨日も電話でお話したところ、
最近見た映画のエッセイってやつを書いたんだがね、編集者が顔色を変えちゃって、メールでのやり取りだったんで、実際何色だったかはわかんないんだが、わははは。まあ、いわゆるボツっていうやつ?にされてしまったよ。わははははは。もちろん原稿料は貰ったがね。君の所でも使ってみる? 無理だよね。まあいいよ、お金が欲しくて書いた物じゃないから。いいよ、いいよ、貧乏なんだから。やだね、ビンボって。
とすっかり文豪が板についたおっしゃりようで、近況を伝えてこられた。
同じ没でも扱いがちがうもんだなあ。
しみじみ手を見てみた。
…知能線が短い。
そのせいですか? 扱いの違いは>神様。
【我ら憑かれたる民、あるいは残酷なる栄光の舞台。PRIDEの狂気を見つめよ。】
井田英登(BoutReview編集長)
今や大会開催翌日のスポーツ新聞の一面は、PRIDE一色に染まると言っても過言ではない。神から与えられた階級=ヘビー級の世界チャンピオンを全て集めて闘わせるというのは、これまで格闘技ファンの誰もが一度は見た夢だからだ。
しかし、1997年に実際にチャンピオンクラスのトップファイターだけをリングに集めて闘わせようというこのイベントが出現したとき、ファンは“永遠の夢”の残酷な結末に戦慄した。90年代のプロレスファンの夢を一身に背負って決起したUWFインターのエース高田延彦が、ブラジルのローカルファイターでしかなかったヒクソン・グレイシーに惨敗。リアルファイトとは、最強幻想を打ち壊す「恐怖の装置」であることを露呈してしまったのだ。
そもそも、リングに上がる二人の選手の、両方がハッピーエンドを迎える事などありえない。
それぞれが人生の大半を掛けて積み重ねてきた人気や経歴、そして未来への期待さえも、全て勝者が総取りにしてしまう残酷なルーレット。それが格闘技の正体であることを、PRIDEは明らかにしてしまったのである。
それでもギャンブルに憑かれた男達はなおこのリングを目指す。
氷の目を持つロシアの殺戮帝王エメリヤエンコ・ヒョードル、前PRIDE王者にして関節偏執狂アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、K-1を捨てた魔のハイキック狙撃手ミルコ・クロコップ。このリングに集う男達を通常のスポーツマンの尺度で賞賛するべきではない。勝利という麻薬に憑かれた終わり無き最強ジャンキー達に、そんな栄光は似合わない。勝者に与えられる莫大な金銭も栄華も所詮はお添え物でしかない。
目の前に立つすべての人間を殲滅し、60億人類の頂点に君臨しする快楽が彼等の最大の報酬なのだ。そして血と暴力に支配されたあのリングから目をそらす事ができない我々ファンは、さしずめ狂気の業病に憑かれたハイエナ、あるいは血のひと嘗めに執着する蝿のような存在といったところだろう。
今日もまた豪奢なリングの上で、栄光と地獄の最終審判がくだされる。
まるでダンテの「神曲」のように、また永井豪の「デビルマン」のように、残酷で美しい凄惨に凍り付き、自らは小指の先ほども傷付く事ない客席で、肉の撃ち合う音と血の香りに陶酔する。
それこそが格闘技の究極の魅力なのではないだろうか。
とある軽めの誌面に「これぞ男の美学なり!格闘技の魅力 徹底解析! 」とかいう特集で求められた原稿。
なんかテーマを聞いて、そのあまりの脳天気さに逆ギレして前後不覚。
どう言う過程でこういう文章になったかは、もう覚えておりません。
逆説的に誉めてるようにも思えるんだけど、やりすぎ?
だとしたら、ワタクシ売文稼業は向いてない模様。
もう狂犬でいいもん、ボク…
大阪城ホールの武士道は、平日(木曜)の興行である上に、カード的にも“大きなDEEP”という感じで、相当厳しいだろうなと事前から予想ついていたのだが、試合開始の7時段階で客席が半分ぐらい真っ赤(大阪城ホールはシートが赤い)だったのには唖然とした。
その後、仕事帰りの客がぱらぱらと埋めていき、最後は7分ぐらいの入りまで持ちかえしてほっとした。脳裏に浮かんだのは、リングスがケン・シャムを呼ぶってことで城ホールを押さえたものの、結局呼べずに大惨敗を喫した時、こんな風景を見たなあと…
実は「平日の大阪で、ラインナップは武士道レギュラークラス(要するに去年あたりのDEEP後楽園+The BEST)で今どれだけ入るだろう?」って感じの、耐久実験なんじゃないかと勘ぐってしまう。
多少リスクがあってもそれがやれるぐらい、今、PRIDEブランドの支持率は高いし、近代企業であるかぎりそれぐらい顧客心理を把握する思いきったマーケティングはやんなきゃいけないので、逆にそんな実験だったら榊原社長、相当凄いと思うんだけど。