Hideto Ida's Blog 〜 時に放浪、日々朦朧 〜

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12/22  「【格闘技】と言う名の曖昧な領域」(2) / [contact sports:格闘と葛藤]
物事には常に何らかの比較対象があって、初めてその輪郭がはっきりする。

前回書いたとおり、既に総合格闘技がプロレスのサブジャンルだった時代は終わった。総合格闘技が独自のスポーツジャンルとして認知され「格闘技の時代」に入った今、その幅や奥行きを明確にする座標軸を考えて行かなければならない。その座標軸をもとに、日々行なわれる一つ一つの試合の意義をきちんと検証することが格闘技ジャーナリズムの役目である。

まず総合に限らず格闘技全般を「一定のルールのもと、勝敗を争うことを第一義として行なわれるファイティングスポーツ」と定義してみよう。この共通認識の元で行なわれるイベント/試合が、主に僕らの考えていくべきフィールドとなるが、その中心には一切の虚飾を廃しルールの求める最短距離で勝敗を決する「競技」という価値観がある。この価値観をもっともシビアに追及しているのはアマチュアである。柔道や空手、レスリング、サンボ、柔術、ボクシング、キックボクシング、そして総合格闘技と総称されるさまざまなミックスルールの「競技」が、日々これほど盛んに行なわれている時代は(古代ローマのパンクラチオンを除けば)おそらく世界史上初だろう。“自らが参加できるスポーツ”としての格闘技が一般に浸透している現状は、今の格闘技を読み解く一つの鍵である。

これまで長い間プロレスを含めた総合格闘技のリングは“プロフェッショナル”の独占市場であった。そこに上がるためにはプロ興業団体の徒弟集団に入門し、プロのイベントに順応した肉体と価値観を身に付けることが必然とされた。いわば“道場”という一般人からは覗くことのできない密教的空間での“修業”を経て、初めてプロ格闘技者として生きることを認可されていたのである。ある意味それはイベントに従事するプロ以外を“格闘技選手”として認めないという排他的な構造である。

最下層の新弟子として入門し“体育会”的なヒラエルキーの最下部に属することを由としない人間は、格闘技に関わることを断念せざるをえない。

プロレスが結局ストレートに競技スポーツになれなかったのは、こうした商業的要請を大いに含んだ“職能集団”以外に競技を行なうことを許さなかったことも一因だろう。「人気」や「見栄え」という商業的要請によって競技内容が操作されるスポーツに「競技」という価値観はそぐわない。

しかし93年からスタートしたUFCがこの構造を壊した。一介のアマチュア格闘家であったはずのホイス・グレイシーやヒクソン・グレイシーが並みいるプロ格闘家を破ったことで、格闘技におけるプロ寡占の時代は終わりを告げたのである。

彼らはセミナーやジムなどのオープンな空間で自らの柔術テクニックを一般人に指導して生計を立てるビジネスモデルを確立した。格闘家の養成機関が“道場”から“ジム”に広がる時代が訪れたわけである。この出来事が総合格闘技の世界に「競技」という価値観を根付かせるきっかけとなったわけだ。そして以前から「競技」化へ向け地道な環境整備を進めていた日本の「修斗」や「大道塾」がこの流れに応じたことでその傾向はますます強まった。決してかんばしい結果は残せなかったとはいえ、93年3月UFC2で市原海樹(当時大道塾)がホイスと戦い、同年7月には修斗主催の「ヴァーリトゥードジャパンオープン'94」が開催されるにいたって、総合格闘技の「競技」化は勢いを増した。

世界各地で雨後のタケノコのように総合格闘技や柔術を教えるジムが出現し、総合格闘技は誰もが学ぶことのできるオープンな「競技」であるという認識が高まった。むしろプロ寡占の時代を「総合以前」と位置づけ、93年が総合格闘技の本当の始まりであったとすべきなのかもしれない。

一方総合格闘技の普及は、「競技」というアマチュアイズムとは90度違う方を向く「ショー(イベント)」という発想を生んだ。「ヴァーリトゥードジャパンオープン94、95」を二連続で制し、当時「競技」の頂点に立つとされていた「トップ・アマ」のヒクソンと、プロレスラー最強を標榜していた「トップ・プロ」高田延彦の対戦が行なわれたPRIDE.1は、その注目度の高さから東京ドームという巨大空間で行なわた。既にドームにおける純粋格闘技興業はK-1やボクシングが先鞭を付けていたものの、それまで独自のスポーツイベントとしてのブランド力を蓄えた後ドームに進出したこれらの競技とは違い、PRIDEはワンカードの魅力、そしてスペクタクル性を強調してドームに乗り込んだのである。

いわばマッチメイクの話題性で観客の興味をあおる“プロデュース先導型”の大会であり、「ショー」という価値観がこの時期から浮き彫りとなる。

今、総合格闘技にかぎらず格闘技全般は「競技」と「ショー」を大きな軸として動いている。この両方の価値観を座標軸とすれば、昨今の格闘技界で話題になっている事件や現象の本質を読み解くことができる。その例を二つお目に掛けよう。


■高田VSミルコ戦の評価を分けたもの

まず手始めにPRIDE.17(11月・東京ドーム)でのミルコ・クロコップと高田延彦の試合を例に取ってみよう。試合の中盤から足の怪我を負った高田がマットに自ら腰を下ろし、寝技への引き込みを狙った場面が大いに物議を醸した。

この問題を多くのマスコミは「高田の逃亡」と位置づけ、その積極性の無さを糾弾した。そこには「プロレス」の看板を背負って“格闘家ミルコ”と闘った“プロレスラー高田延彦”への責任追及という、時代遅れな問題意識が透けて見える。

はっきり言って、これは97・98年のヒクソン vs. 高田に対するヒステリックな報道の焼き直しに過ぎない。逆に言えばプロレスマスコミは“ミルコに敵わなかった高田”を糾弾することで、プロレスファンの中の帰属意識を大いに煽ろうとしたわけだ。(裏を返せば97・98年当時、格闘技はまだプロレスのサブジャンルでしかなかったということに他ならない)。

こうしてプロレス最強神話を十年一日のように唱え続けるプロレスマスコミの体質は端から問題外だとしても、それ以上にナンセンスに映ったのは、“あえてプロレス界の常識に異を唱える”という浅はかな分析意識でしか「高田vsミルコ戦」を語り得なかった雑誌「格闘技通信」の姿勢だ。

前回の繰り返しになるが、「プロレスではないもの=格闘技」などという時代遅れな姿勢で記事を書き続けていても、そこからは何も生まれない。

格通は、高田の戦いぶりを「競技」に則したものとして考えれば勝利至上主義の“格闘技的世界観”にぴったりである、という論陣で擁護している。しかしこの記事には裏がある。この当時、格通は一連のPRIDEでの高田の試合をフェイク扱いしたために、取材拒否を食らっており、人気選手に成長した桜庭の写真も掲載できないと言う状況にあったのだ。そこで和解のバーター材料として「高田vsミルコ戦」を“格闘技として素晴らしい”と称揚する事によって、高田道場に媚を売ったのである。要するにこれは格通の一方的な戦略記事であって、決して確固たるイズムによって組み上げられた報道ではないのだ。

さらに格通の記事にはもう一つの欺瞞が潜んでいることを見逃してはならない。

そもそもPRIDEという総合格闘技プロモーションの要請でリングインした段階で、高田もミルコも、ひとしなみに「格闘家」なのである。確かに高田は「プロレスラー」の看板を上げており、対するミルコもいまだにクロアチアの特殊部隊に属し指導教官として働いているという。両者がこのリングから降りた時の職業はそれぞれに異なる。しかし一旦契約を結び、プロファイターとしてリングに上がった以上、二人の肩書きはあくまで「プロレスラー」でもなければ「クロアチア特殊部隊指導官」でもなく、平等に「格闘家」でなければならない。それが大前提のはずである。

だが長年、「プロレス/格闘技」の対抗軸で商売を続けてきた格闘技通信の姿勢では、素直に高田の戦いを評価できない。これまで「プロレスラー」高田の試合を小さく扱うことで、雑誌のストイシズムを強調してきた。しかし今回は逆に高田の「プロレスラー」という立場を際立たせることでストイシズムを強調している。

格通が高田道場の譲歩を引き出すために打った策は、逆に己の欺瞞を露呈してしまったのだ。結局格通は高田道場側の拒絶反応を増幅させただけではないかというのは考え過ぎだろうか? 過去いろんな新聞・雑誌に高田に対する批判的な記事が出たが、高田道場はこれらの媒体に対して取材拒否していない。格通への取材拒否は格通の屈折した態度に対する現場からの拒絶反応であり、極めて全うな対応と言えるだろう。

マスコミ論はこれぐらいにして高田とミルコの試合そのものを読み解く本題に戻ろう。

では高田が試合中に取った“寝待ち”戦術の是非と、それに対する6万のファンが放ったブーイングの意味を切り取るにはどうすればいいのだろう?

格通・ゴング格闘技等の格闘技プロパーの媒体は「負けないこと/勝ちの確率を高めること」にフォーカスした高田の戦術を決して否定すべきではないという立場を取った。僕もそれに異論はない。だがこれだけでは6万の観衆の発したブーイングの意味を解釈できない。

そこでこの解離を矛盾なく説明できるのが、先程提示した「競技/ショー(イベント)」の座標軸である。

仮にこの試合が東京ドームでなく隣の後楽園ホールで、修斗のように「競技」としての価値観を前面に押しだした団体の興行で展開されたものであったなら、ブーイングの性質は全く別のものだったに違いない。高田の引き込み技術の未熟さに対してはブーイングが飛ぶかもしれないが、今のような形でこの論議が激烈なものにはならなかっただろう。

要するに高田の態度は「競技者」の姿勢としては○だが、6万人の観客を集めた「ショー(イベント)」で戦うプロファイターとしては物足りなかったと言うことになる。

それはドームで行なわれる試合の特殊性を示している。

ドームという一種の祝祭空間では、観客は祭儀としての試合を求める。いわばスクェアな“スポーツ競技”を越え、心の奥底の感情を喚起してくれるような試合を期待するのだ。それこそが「ショー(イベント)」としての側面を備えるに至った格闘技の新しい切り口であり、選手達に求められる“プロ意識”というテーマに結びついていくわけだ。それは高田がプロレスラーであろうと無かろうと関係ない問題なのである。“負けるリスクをも省みずアグレッシブな試合を見せる”というのが六万の観客の望んだ展開であり、その舞台に上がりながら「競技」的価値観にこだわって手を出せなかった点においては、高田だけでなくミルコも同罪なのである。

PRIDEというのはあくまで世界トップクラスの格闘技アスリートの対戦を売り物にしたイベントであり、決してPRIDEルールを価値観の頂点に置いて争っているものではない。チャンピオンベルトは存在するにしても、それは選手間の対抗意識を喚起する装置にすぎない。実際コミッションの存在しない場において「競技」的な舞台装置はむしろ不要とすら言える。むしろPRIDEの醍醐味は各々の「競技」で頂点に立った強豪を集め、本来なら実現しえなかった対立構造を演出するスペクタクル性にこそあるのだ。

その舞台装置や観客の嗜好までを飲み込んだ上で、なおかつリアルファイトの範疇で好勝負を提供していかなければならないところ
に「ショー(イベント)」という価値観に身を置いた選手の苦悩があるといえるだろう。

しかし同じ東京ドームを舞台にした試合であっても、12月8日のK-1ワールドグランプリ決勝戦になると、一気に「競技」の座標軸が重要になる。
                          

※BoutReview EXpress [Weekly] Vol. 008 (Sat, 22 Dec. 2001) より

投稿者 井田英登 at 01:00