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ジェロム・レ・バンナ インタビュー「最後にあと1試合だけ日本で戦いたい」

 母国フランスで引退試合を終えたジェロム・レ・バンナだが、一番の心残りはK-1で何十回も訪れた日本のファンに最後の雄姿を見せられなかったこと。「最後にあと1試合だけ日本で戦いたい」。それは自分のためでなく、日本のファン、そして日本キック界の未来のため。本命視されるも準優勝に終わった2002年のK-1 WORLD GPの舞台裏のエピソードを交え、長年バンナを見つめ続けた番名比呂氏がバンナの思いを綴った。
引退戦でのバンナと夫人
 昨年10月から告知してきた母国引退試合とあって、周囲からの期待も大きく、加えて試合直前に起きた深刻な出来事の影響もあり、メリッサ夫人が「ここまで緊張してるジェロムは見たことない」と言うほど巨大なプレッシャーを感じて固くなっていたバンナ。無事に試合で勝利して重圧から解放された後は、サントロペ市内のプール付きの広大な借家にて、家族とメリッサ夫人の両親と姉妹家族、同郷のフィリップ・ゴミスと共に日光浴や水泳を楽しみ、皆を連れて遊園地にも遊びに出掛けた。その間もサントロペの険しい山道をロードワークし、縄跳びや軽めのシャドーボクシングをするなど、たとえ引退後も戦いは彼の生活の一部である事が伺える。また、試合直前に起きた深刻な出来事に関しても、試合の3日後にひとまずは安心できる状態となり、ホッと胸をなでおろした。試合から4日後、そんなリラックスしたバンナにショートインタビューを行うと、日本への愛と感謝に溢れる言葉が次々と飛び出した。格闘技界が年末興行に向けて水面下で徐々に動き出した今、このインタビューをお届けする。

(記事、バンナ引退戦&インタビュー写真提供 番名比呂/取材日 2015年8月8日、トゥーロン=イエール空港にて)


「日本のファンに最後のKO勝ちを捧げたい」



――まず初めに、現役引退を決意した理由について教えてください
バンナ「俺は今42歳で、12月には43歳になる。2002年12月のK-1 WGP決勝でのアーネスト・ホースト戦での左腕粉砕骨折の影響も大きかったが、それ以外にも長年の激しい戦いとトレーニングによって俺の身体中にダメージが蓄積しているからだね」

――今回のカール・ロバーソン戦についての感想をお願いします
バンナ「カールは次世代を代表する選手になれる素質を秘めた新星だ。彼は素晴らしかったし称えたい。今回は試合直前に深刻な出来事が起きてしまったこともあって、正直100%のコンディションで戦うことが出来ず、皆が喜ぶようなKO勝ちができなかったことはファンの皆に申し訳ないと思っている。だが、対戦オファーを受けてくれたカールへのリスペクトもあるし、長年に渡って俺を応援してくれたファンの皆への感謝と敬意を示したいと思っていたから、絶対に試合を欠場したくなかったし、カールのハードなパンチをくらってフラフラになったけど、それでもネバー・ギブアップの精神で戦った。最後まで決して諦めない俺の闘争心と、皆への感謝の気持ちが伝わっていてくれれば嬉しいね」

引退戦で勝ち名乗りを受けたバンナ
――あなたが引退後のキックボクシング界の未来についてどう思うか教えてください
バンナ「全てを語りつくすにはロングストーリーになってしまうな。俺のキック人生を語る上で石井和義館長の絶大な努力があった事は欠かせない。イシイ・カンチョウは大阪の正道会館が生んだ格闘技界の偉大な人物だ。団体分裂の連続でバラバラな立ち技格闘技界において、K-1という世界の頂点を作り上げた最大の功労者だよ。俺は今の日本の格闘技業界について詳しいことは知らないが、中国の格闘技界は急速に発展しているし、やはりキックボクシングは素晴らしいスポーツだから、いずれは日本を含めた世界的なスポーツになると信じている。そのためにはまず数多くあるキック団体とプロモーターがお山の大将にならず、くだらないちっぽけな縄張り争いを止めて、団体同士の交流戦を行うことがまず第一歩だと思う。選手とプロモーターが口先だけでなく『ファンのため、キック界のため』と本気で思っているなら絶対に出来ることだし、出来ないならその人はキックボクシングというスポーツを愛していない、ファンへの感謝を抱いてないということだ」

――あなたのキャリアにおけるベストファイトを教えてください
バンナ「1996年のアーネスト・ホーストとの第1戦だね。大阪のニュー・オータニホテルで石井館長に『約1ヶ月半後の次戦でホーストと対戦したいか?』と聞かれて『Yes!』と即答したよ。俺はホーストのことが好きだし、真の王者だと思う。当時23歳の俺はアンダードッグに過ぎなかったが、下馬評を覆してホーストにKO勝ちしたんだ。あの大会(K-1 STAR WARS '96)はK-1が初めてフジテレビのゴールデンタイムに放送された大会で、視聴者を引き付けるために重要な一番最初に放送される試合にこの試合が選ばれたんだ。K-1が地上波テレビ放送で定着するための重要な役割を担えたことも嬉しかったよ。時には俺がホーストをKOしたし、その後は逆にホーストも俺をKOした。良いライバル関係が築けたよ」

――あなたの日本での一番の想い出を聞かせてください
バンナ「あまりにも多過ぎて一つには選べないね(笑)日本での全ての出来事が良い想い出と言っても過言じゃないよ。リング上で戦ってる時はもちろん、リングの外でもエディ、マユミ、ユウジ、ヒロシら俺の素晴らしい大切な友達に囲まれてハッピーだ。トーナメントで優勝した時や、激闘に勝って皆から『凄かった!感動した!最高だった!』と言ってもらえて少しでもファンの皆に恩返しできたと実感した時もそうだね。全部を言い尽くすことは出来ないくらい本当にたくさんの最高の想い出が日本にはあるよ」

――現役引退後はどのように過ごされるんですか?
バンナ「俺は今までたくさん読書をしてきた。本から学んだことを活かして良いビジネス相手と一緒に様々なことをやりたい。ピアノを弾いてみたいとも思っているし、もちろん俳優業も続けていって色んな役を演じてみたいし、特にコメディにも出演したいね。まだ全然決まってないけど可能なら日本にも俺の格闘技ジムを作って経営してみたいな、とは思ってるよ。キックボクシング引退後もIGFでのプロレスの試合もオファーがある限りは続けたいと思ってる。いずれにせよ引退後も必ず何らかの形で日本に恩返しを続けようと思っているよ。東日本大震災の被災者の方々への支援ももっと続けないとね」

――最後に、日本のファンにメッセージをお願いします
バンナ「勝っている時も、負けたり怪我している時も、ずっと応援し続けてくれている日本のファンの皆には感謝してもしきれないくらいだ。本当に嬉しいし、俺は心の底から日本を愛している。俺は『JLB Goodbye Tour』と題した現役引退ツアーで3試合を戦うはずだった。しかし、6月に予定していた第2戦を、対戦相手との交渉が難航したのと、3月に骨折した俺の左足が治りきっていないのもあって出場できなかったことで、ファンの皆に俺の戦いを見せる機会が1試合減ってしまったことが申し訳ないと思ってるし、俺を成長させて応援してくれた愛する日本のファンの前で試合が出来ないまま終わってしまうのが心残りなんだ。だから俺としては、あくまで日本のプロモーターが望めばだが・・・、あと1試合だけ日本で戦いたいと思っている。現時点(※取材日:8月8日)では何も決まっていないし、このまま今回の試合が現役最後になるかもしれない。だが、俺は愛する日本のファンに恩返しがしたい。それに 『決着をつけたい奴』もいるから、出来ればそいつと対戦したいと思っている。俺がフランスではなく日本を最後の引退試合に選んで戦うことによって大会への注目が集まってくれれば、同じ大会に出る若手選手たちにもスポットが当たるようになれば日本のキックボクシング界の未来にも繋がると思う。日本のファンに最後のKO勝ちを捧げたいと思ってるから待っていてくれ!」

――この度はインタビューに答えていただいてありがとうございました。
バンナ「こちらこそ日本のファンの皆に感謝を述べる機会を与えてくれて感謝してます。ドウモアリガトウゴザイマシタ!」


 筆者はバンナが日本での本当に最後の引退試合で対戦を希望する相手の名前を聞かされたが、本人が公開されることを望まなかったため控えさせていただく。バンナが『決着をつけたい相手』として挙げたその候補との対戦実現は非常に困難であり、実現しないまま終わってしまう可能性もある。しかし、バンナ本人は愛する日本での最後の引退試合で、その相手と対決することに闘志満々であり、最盛期のK-1を輝かせた殺気漂う『怖いバンナ』の戦いとなれば、彼の最後に相応しい締めくくりとなるだろう。

 今年の大晦日も、さいたまスーパーアリーナでMMA大会が開催されるとの情報が飛んでいるが、総合格闘技の世界トップレベルの選手の9割はアメリカのUFCが独占契約を結んで、他団体出場を許可しない現状を踏まえれば、MMAルールの試合だけで世間とファンを引き付ける大会にすることは難しい。また、寝技の複雑な攻防は地上波で一般層に伝わりづらい一面も持っている。旧K-1崩壊後は明確な頂点の団体がなくなり、特定の団体に拘束されることがなくなりつつあるため、MMAよりも世界トップレベルの選手を集めやすいキック界から選手を集めて、一般の視聴者にも分かりやすい立ち技ルールの試合も組むのであれば、そこでバンナの引退試合も組まれるのか。それとも、バンナの盟友ピーター・アーツが共同プロモーターに就任してマッチメイクを担当し、日本のBLADEと提携し、日本大会開催の計画があることを5月にアーツ本人がオランダのメディアに明かして期待が高まる、ドバイの新興団体GFC(Global Fighting Championship)で実現か。しかしGFCは5月に続いて9月18日に予定していた大会も、出場選手に充分な説明もなく急遽キャンセルしていたことが報道されるなど、先行きは不透明だ。それともアントニオ猪木率いるIGFが最後の花道を用意するのか。いずれにせよ心の底から日本を愛するバンナが熱望する引退試合が日本で行われることを切に願う。

 「日本のファンへの感謝、恩返し」を何度も繰り返したバンナ。2011年、東日本大震災が起きた当日にニュースを知ると、心配して即座に日本の友人に電話をかけて安否を確認し、多くの外国人が震災の影響で来日を拒否するなか、震災の翌月には妻を連れてIGFの震災チャリティー大会に初参戦、同年7月と8月のIGF参戦時には娘ヴィクトリアまでも連れて来日して被災者支援を行い、宮城や岩手で開催されたIGFの震災復興支援大会にも連続参戦した。震災直後に家族までも同伴で来日して復興支援を行った外国人はスポーツ界以外を見渡しても数少ないだろう。「日本で死んでもいい」と言い切った彼の言葉は本物だ。

 豪快なファイトスタイルと劇的なKO勝ちを連発するリング上での戦いぶりはもちろん、リング外の歯に衣着せない強気な、それでいて的確に問題点を指摘する発言でもファンの心を鷲掴みにしてきたバンナ。バンナほど自分の団体・競技・ファンのことを常に強烈に意識して戦っている選手は歴史を振り返ってもほとんどいない。FEGによる旧K-1が崩壊し、混沌とした現在のキック界に対する痛烈な提言も「この世界には王者を名乗る連中が多すぎる。俺がそいつら全員ぶっ潰してやる!」と宣言して、K-1で、あるいはボクシングやMMAなどの他団体・他競技で外敵に殴り込んでいったバンナだからこそ説得力のある言葉と言える。


当時のセコンドが振り返る2002年GPの内情



2002年のGP準決勝のハント戦
 ムエタイの軽量級ではしばしば強豪を輩出するものの、ムエタイとキックボクシングは依然マイナースポーツなままで練習環境を整えることも難しいフランスにおいて、K-1デビューする前まではローキック禁止のフルコンタクトキックを主戦場としていたため、初めてローの練習をしたのは1995年のK-1デビュー1ヶ月前。経験も環境も全てオランダ勢に大きく差をつけられていたが、それでも試合をする度に確実に進化を続け、遂にはお互いが公平な条件で戦えるワンマッチにおいて最強の座に君臨した。

 元々キレを評価されていた左ストレートと大柄な体格に似合わぬ綺麗な左ミドルキック、そしてローを学び始めて3ヵ月後には佐竹雅昭とマイク・ベルナルドが「強烈だった」 と驚くローを蹴るようになり、デビュー年にK-1 GP準優勝。翌1996年から徐々にボクシング技術を学んでいき、1998~1999年にはイベンダー・ホリフィールドからも世界トップクラスと認められるほどのパンチ力を身に付け、2002年にはステファン・ニキエマをトレーナーに雇い、ハイキックや膝蹴りなど蹴り技全般を飛躍的に向上させて一撃必殺のパンチとキックのコンビネーション、破壊的なパワーと卓越したテクニックの融合に成功し、最盛期を迎えていた。

 2002年当時、ホーストをKOし、テレビ出演の連続でお茶の間にも旋風を巻き起こしていたボブ・サップに世間の注目が集まるなか、石井館長から「サップを止められるのはジェロムしかいない」と言われるなど専門家から優勝候補本命と目され迎えた決勝トーナメント。しかし、優勝まであと一歩に迫った決勝でのホースト戦で、最強の武器である左ストレートを放つ『黄金の左腕』を粉砕骨折する悪夢。今回、当時のバンナのセコンド陣とも話す機会があったため話を聞いてみると、「俺のトレーナー生活の中で最も後悔してる出来事だよ・・・」と切り出した。

「ジェロムはトーナメント抽選会の前に『ファンが望む対戦カードで俺とミルコ・クロコップの再戦がファン投票で1位になったらしい。ミルコと戦いたかったのに奴は出てないからボブ・サップと対戦したい』と言っていた。だけど俺達が『それはワンマッチでの対戦までとっておけ。お前はアーツにもホーストにもハントにもワンマッチでKO勝ちして最強を証明してきたんだから、あとはトーナメントで優勝するだけだ』と説得した結果、抽選で武蔵を相手に選んだんだ。
 トーナメント対策として減量してスピードとスタミナを重視させた。ローキックを蹴ると相手にカットされて自分の足を怪我する可能性もあるから、準々決勝ではなるべくローを蹴らず、全力を出さずに消耗を抑えて勝つ作戦だった。ところがジェロムは良くも悪くも正直なもんだから、インタビューで『トーナメントだから一番楽な相手を選びたかったから武蔵にした。省エネだよ』なんて言ったもんだから、怒った武蔵がいつものヒット・アンド・アウェイをせずに打ち合ってきた。打ち合いはジェロムの得意分野だから本来ならありがたいんだけど、まさかあのジェロム相手に武蔵が打ち合うなんて誰も予想してなかったから、不意を突かれてパンチを浴びて、古傷の鼻から出血して呼吸しづらくなって余計な消耗をしてしまった。

 準決勝のマーク・ハント戦はハントが準々決勝のステファン・レコ戦で随分ローで左足を蹴られていたから、カットされるリスクを負ってでもローを蹴れば2ラウンドにはKOできると踏んでいた。ハントは顔面は打たれ強いけど、あの体重だから膝への負担もあるだろうし、ローが効くと思ってね。ところがハントの左足を狙ってジェロムの攻撃がたまに左ストレートを打つ以外は、右ローばかりに偏ってしまったものだから、ハントが途中で打たれ慣れてしまい、判定まで粘られてしまった。パワーよりもスタミナ重視で減量して筋肉を落としたから、KOするまであと一歩というところで威力が足りなかったのかもしれない。ダウンも奪っていたし、決勝に備えて早く倒そうとして急いでしまった。元々ハント対策の一つとして膝蹴りやミドル、ハイキックのコンビネーションをずっと練習してきたのだから、右ローに固執しなかったらもっと楽にKO勝ちできただろう。ハントがレコ戦で足にダメージを負っていない方がむしろやりやすかったかもしれない。
 でも、これらはあくまで結果論だ。意地を見せた武蔵とハントが俺達の予想よりも素晴らしかったのだから、彼らのことは称えたいし、俺達のセコンドとしての力量が不足してたのも事実だ。
 だが、それでも一つだけ強調したいことがある。トーナメント反対側のブロックでのピーター・アーツ対レイ・セフォー戦はどこからどう見てもアーツの勝ちだろう!不正な判定によって勝ち上がったセフォーは大会前から右足を怪我していて、それで準決勝のホースト戦では自分が蹴った右ローで足を怪我する自爆KO負けのお陰で、ホーストは汗一つかかずに決勝に勝ち上がった。もし正当な判定でアーツの勝ちになっていれば、準決勝のアーツ対ホーストはどちらが勝ったとしてもかなりの消耗を強いられたことは間違いないし、そうなればジェロムが絶対に優勝していた!それだけにあのアーツ対セフォー戦のジャッジは許せないね!
 当時のジェロムはワンマッチならセーム・シュルトよりもホーストよりも強い、間違いなく立ち技格闘技史上最強の男だったし、決勝でも左腕が折れる前までは徐々にペースを握っていた。あの時はトーナメント用の戦術がことごとく裏目に出てしまったし、いつものワンマッチと同じ全力ファイトをさせた方が結果的にはもっと楽に勝てて優勝できただろう。それだけに、ジェロムを優勝させられず、左腕を粉砕骨折させてしまったことは後悔してもしきれない」

 バンナの蹴り技の向上に大きく貢献したニキエマと袂を分ち、決勝の僅か3ヶ月前に結成したばかりの急造チームで、充分な信頼関係を構築する時間がないまま迎えてしまったのも影響しただろう。粉砕骨折の激痛に顔を歪め、あと一歩で優勝を逃して誰よりも悔しさに耐えながら、それでもファンへの感謝を欠かすことなく東京ドームの控え室に戻る花道で7万人超の大観衆に向かって右腕を掲げ、一礼して感謝しながら去っていった彼の姿を忘れることは出来ない。


宿敵・ホーストとの友情



02年GP決勝のホースト戦
 あの粉砕骨折を境に『黄金の左』の破壊力は激減。執念の努力によってある程度の回復はしたものの、結局本来の強さを取り戻すことがないままとなってしまった。明らかにバンナの左肘の部分が陥没していることがテレビ画面越しでも確認できる状態であったにも関わらず、3ノックダウンによって自動的にKOとなるまで試合を続行させ続けた角田信朗レフェリーの不可解なレフェリングと、タオルを投入しなかったバンナのセコンド陣には多くの批判の声が上がった。しかし、バンナ本人は「たとえ粉砕骨折しようが自分としては絶対に諦めたくなかった。なぜならアンディ・フグのような武士道精神、ネバー・ギブ・アップの精神で戦ったんだ」と、セコンドや角田を一切責めない、真の男気を示した。(そもそもこのような大怪我を負ってでも試合続行しようとする闘争心の強い選手をリング禍から救うのがレフェリーの仕事なのだが)

 また、粉砕骨折を負わせた張本人であるホーストとは、かつて常にKO勝ちを狙うバンナと判定でもいいから勝利を最優先するホーストという正反対のファイトスタイルを巡って両者は舌戦を繰り広げたこともあった。特にバンナが優勝候補本命と目されながらも直前で伝染性単核球症によって欠場となり、ホーストが優勝した2000年のK-1 WGP決勝大会は判定試合が続出したこともあって、バンナがK-1選手達の現状に辛辣な批判を重ねたことで対立が深まり、2001年の決勝大会では2連覇中の王者ホーストを差し置いてバンナ一人だけが大会宣伝ポスターに独占的に掲載されるなど、バンナ人気が高まることへの嫉妬心もあって、ホースト本人も後に「正直、昔はジェロムのことがあまり好きではなかった」と認めていた。しかし、痛烈なトラッシュ・トークの連発が脚光を浴びていた当時も、バンナは「ホーストのことは尊敬はしている」と明言しており、バンナの発言を一部記者がホーストに伝える際に挑発的な部分を断片的に伝えたことも誤解を生む要因となっていた。左腕粉砕骨折後も「ホーストに怨みなんてないよ。大切なのは起こってしまった後さ。つべこべ言っても何にもならない。どうやってそれを受け入れるかが一番重要なんだ」と潔く受け入れていた。

 実はバンナとホーストは近年プライベートでも仲が良い。過去のインタビューでは自身の生涯ベストバウトには2002年5月のK-1パリ大会でのマーク・ハントとの3度目の対戦を選ぶことが多かったが、今回のインタビューでホースト戦をベストバウトに選んだのはその影響もあるだろう。バンナと雑談になると石井館長の名前がよく出るが、近年はホーストの話題になることも増えており、昨年ホーストが8年ぶりに現役復帰した際にも「ホーストは良い奴だし頑張ってほしいよ」と笑顔でエールを送っていた。今年3月7日、パリで行われたマーシャルアーツ・フェスティバル30周年イベントにてバンナがキックとMMAのデモンストレーションを行った後、バンナのためのサプライズゲストとしてホーストが登場。同イベント後のインタビューでホーストは「ジェロムは恐れ知らずな所が一番の武器だね。もしかしたら彼も内心では恐怖心を抱いていたのかもしれないが、決してそれを表に出さず常にファイトしてきた。例えば私は無茶をしてまで相手をKOしようとはしなかった。しかしジェロムは常にベストを尽くして全力で戦ってKO勝ちを狙い続けることを最重要視してきた。それは私がやりたくても出来なかったことだし、だからこそ彼は皆から愛されるんだ。今では彼は良き友人だよ」と敬意を示した。


母親、娘、日本のファンへの愛情



現在のところ、日本では最後のキックの試合となる2013年12月のハリトーノフ戦
 選手同士の馴れ合いが起きて判定決着が続いていたK-1において「俺のことが嫌いならそれはそれでいい。お陰で友達同士でない本当の戦いが出来るからな」と一匹狼を貫いてきたことで、ホーストら対戦相手だけではなく、周囲の人間関係のトラブルも多々あった。しかし、その一方で一度信用した相手に対しては自分の良い所も悪い所も隠さずに付き合う真っ直ぐ正直な人間である。それゆえに数少ない信用する仲間とトラブルが起きた時は急変してしまう。たとえダウンを奪われて絶体絶命になっても決して諦めない折れない心で逆転KO勝ちを何度も連発してきたが、試合前に身近な人間とトラブルが起きると精神面が急激に脆くなってしまう。精神力の強さにムラっ気がある選手であった。特に友人ができずに悩んでいた孤独な幼少期から支えてくれた母親が2004年8月に死去した影響は強かった。

 かつては「娘は俺の愛する大切な存在だが、娘のために戦っているわけじゃない」と言っていたバンナが母親の死に機に「いつも母親に守られている気がした。母親の存在は大きかった。だから娘に対しても責任感が強くなったんだ。リングに上がる前には必ずトランクスの娘の名前を触るようにしてるんだ。もし俺が負けるようなことがあっても父親の仕事を見るのは良い経験だ。人生は野原で歌う鳥の声を聞いたり、のどかな環境の中で過ごすだけではない。人生も試合ぐらい辛いものじゃないかな。リングの上で戦う以上、これは戦争なんだ。リング上で死ぬかもしれないし、まあそれも人生だ」と覚悟を改めた。

 娘を愛し、群れることを嫌う一匹狼がフランスの自宅に娘を残して単身オランダに移住して、名門ドージョー・チャクリキで大ベテランながら若手に交じって厳しい練習を積んだ。白血病に冒されたチャクリキの仲間であるノブ・ハヤシの復帰を手放しで喜び、ライバルのアーツと練習を共にして絆を深めつつ、そのアーツとリングで潰し合う覚悟と闘争心も忘れない。昔から「ファンのために戦う」と宣言し続けてきたバンナだったが、娘への責任感が増し、仲間との絆と敬意を深めるようになったからこそ「俺が戦うのは王座のためでもなく、自分のためでもなく、娘のためですらない。ずっと応援し続けてくれているファン、特に負けたり大怪我をしても決して俺を見捨てないで応援してくれた愛する日本のファンのためだ!」という言葉がリップサービスではない本物の説得力を持つ。K-1、キックボクシングに対して強烈な誇りを抱き、一匹狼でありながらも常に「K-1のため、ファンのため」に戦い続けてきた。現在でこそツイッターなどのSNSを使って一般人でも著名人と気軽に交流することができる時代となったが、90年代の黎明期からバンナはファンからのサインや撮影に応じるだけでなく、地道にファンレターの返信を直筆で書いて郵送やFAXで送ったり、自身の公式サイト宛に英語かフランス語で書かれた応援メールにも 、多忙なため数ヶ月遅れになる時もあるが現在も返信メールを送っている。

 数々の大怪我と挫折に遭いながらも、そんな感謝の気持ちを抱いて常に真っ向勝負のKO勝ちを狙うバンナだからこそ、今では本当に信頼できる家族と仲間に囲まれているのだろう。1995年に初来日してK-1デビューしてから今年でちょうど20周年。この20年間ずっと我々に夢と希望と勇気と興奮を与え続けてくれたバンナが心底愛する日本での最後の引退試合が実現することを改めて強く望みたい。

(次回はバンナのK-1デビュー前を含めたキャリア総括です。長くなりますが次回が最終回です。是非ご一読を。)

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